[Uターン・Iターン・移住] いーなかえーるは、岡山県北の求人情報をご紹介します
この地域だから生き残れた。地域が育てたジーンズ縫製工場。
前編有限会社内田縫製 取締役
内田直行(左) 内田泰造(右)
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#クラウドファンディング
#組織づくり
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1日本のプレミアムジーンズを支える縫製工場
| 丸尾 |
まずは、改めて内田縫製がどのような会社なのか教えていただけますか。 |
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| 内田直行 |
一言で言えば、ジーンズをつくっている縫製工場です。
ただ、一般的に「ジーンズ」と言えば、価格帯や品質は本当にさまざまです。 |
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| 丸尾 |
いわゆるOEM生産が中心ということですね。 「縫製業界」というと、価格競争が非常に厳しい世界という印象があります。 |
| 内田直行 |
まさにその通りです。 |
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| 丸尾 |
なるほど。大変な時代が長かったんですね・・・。 |
| 内田直行 |
でも最近になってようやく、日本製の価値が見直されてきました。 |
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| 丸尾 |
日本の職人技術が評価されているということですね。 |
| 内田直行 |
そう思います。それに、この20〜30年で国内の縫製工場は本当に減りました。 |
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| 丸尾 |
その中でも内田縫製さんが選ばれている理由は何でしょうか? |
| 内田直行 |
品質だけで言えば、日本に残っている工場はどこも高いレベルです。
内田縫製は従業員の平均年齢がおよそ40歳です。20代も約10人。30代も5〜6人います。縫製業界では、かなり若い会社なんです。
近年、縫製工場というと高齢化が進んでいますが、内田縫製は若い職人が育っています。 |
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| 丸尾 |
実際に工場へ伺っても、一般的な縫製工場とは雰囲気が全然違います。 |
| 内田直行 |
ありがとうございます。
ブランドに魅力を感じて入社してくれる若い人もいます。それがまた、新しい仲間を呼んでくれる。そんな循環が生まれています。 |
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2「日本一働きがいのある縫製工場」を目指して
| 丸尾 |
先ほどから何度か「若い人が集まる」というお話が出ていますが、それだけではない気がしています。工場全体の雰囲気そのものが違いますよね。 |
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| 内田泰造 |
ありがとうございます。 |
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| 丸尾 |
「改善提案活動」というのは、具体的にはどういうものですか。 |
| 内田直行 |
日々仕事をしている中で、「ここがやりにくい」「もっと効率よくできる」「このやり方の方がいい」ということを、従業員自身が提案します。 |
| 丸尾 |
340件ですか!?それは驚きました。 |
| 内田直行 |
改善の目的は効率だけではありません。
だから改善担当が一つひとつ丁寧に拾って、形にしていく。 |
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| 丸尾 |
もう一つの「小集団活動」とは? |
| 内田泰造 |
工場を七つのグループに分けています。
すると、話し合いだけで生産効率が10%上がったチームもありました。 |
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| 丸尾 |
まさに「やらされる仕事」ではなく、「自分たちでつくる工場」ですね。 |
| 内田直行 |
そうなんです。
最近では、元気で意欲あふれる若者も入社してくれるようになりました。その雰囲気に引っ張られて、ベテラン社員も自然と笑顔が増えていく。 |
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| 丸尾 |
内田縫製さんには独特の温かさがあります。 |
| 内田直行 |
ありがとうございます。
もちろん技術も大切です。
私たちが目指しているのは、日本一技術の高い工場ではなく、 |
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3「来い」の一言から始まった。地域とともに歩んだ57年
| 丸尾 |
ここまで現在の内田縫製さんについて伺ってきましたが、その土台となる創業の頃のお話もぜひお聞きしたいです。創業はおじいさまの代からだそうですね。 |
|---|---|
| 内田直行 |
はい。創業は1969年なので、今年で57年になります。
もちろん僕たちはその頃を知りませんので、祖母や地域の方から聞いた話になるんですが、うちの祖父はもともと縫製の仕事をしていたわけではありませんでした。
祖父は昔から地域では顔が広かったみたいで、「あいつなら人を集められる」と思われていたんでしょうね。そうやって工場づくりを手伝っているうちに、「自分でもできるんじゃないか。」そう思ったみたいなんです。 |
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| 丸尾 |
そこから独立されたんですね。 |
| 内田直行 |
祖父は、とにかく勢いのある人だったそうです。 |
| 丸尾 |
「明日から来い」ですか(笑)。 |
| 内田直行 |
そうなんです。
当時、この地域には女性が働ける場所がほとんどありませんでした。
今では考えられないですよね。 |
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| 丸尾 |
本当にゼロからのスタートだったんですね。 |
| 内田直行 |
そうですね。
今のジーンズより仕様もシンプルでしたから、とにかく数をつくる時代でした。 |
| 丸尾 |
その後、国内の縫製業界全体が大きく変わっていったんですよね。 |
| 内田直行 |
そうです。
売上はピーク時の5分の1以下。 |
| 丸尾 |
ホームページでも、その頃のお話を拝見しました。 |
| 内田直行 |
普通だったら、潰れていたと思います。
仕事がなくなって父が従業員さんに、「ごめん、仕事がない。」
また仕事が戻ったら工場へ来る。 |
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| 工場から見上げる集落の風景 | |
| 丸尾 |
都市部だったら難しかったかもしれませんね。 |
| 内田直行 |
そう思います。
140軒くらいある集落なんですが、その8割くらいが「内田」なんですよ。(笑) |
| 丸尾 |
苗字まで同じなんですね(笑)。 |
| 内田直行 |
そうなんです(笑)。だから親戚みたいなものなんですよ。
小さい頃から知っている近所のおばちゃんたちが、会社を支えてくれた。
だから僕は、よくこう思うんです。 |
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| 丸尾 |
まさに会社の歴史そのものが、地域の歴史でもあるんですね。 |
| 内田直行 |
そうですね。
現役の社員も、そのOBさんたちが来ると少し緊張するんですよ(笑)。 |
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4「帰るつもりはなかった。」兄弟が家業を選んだ理由
| 丸尾 |
お二人とも、小さい頃から工場が身近にある環境で育ったのですよね。 |
|---|---|
| 内田直行 |
はい。生まれた家は旧工場のすぐ隣です。工場の音を聞きながら育ったと言ってもいいですね。津山高専を卒業するまでは、ずっと地元で過ごしました。
でも、その頃は家業を継ぐなんて全然考えていませんでした。
津山高専を卒業後は、津山市内にある製造業企業へ就職。 |
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| 丸尾 |
当時は、家業を意識することはなかったんですか。 |
| 内田直行 |
まったくなかったですね。
OEM生産の仕事だけでも忙しい中で、新しいブランドをつくる。
「これは本当に大変そうだな。」そんなふうに思っていましたね。
その時に思いました。「あれ、これ、めちゃくちゃいいな。」 |
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| 丸尾 |
泰造さんはいかがでしたか。 |
| 内田泰造 |
僕は津山高専を卒業して、福岡県の製薬会社へ就職しました。
実は社会人になって二年目くらいから、 |
| 丸尾 |
そうだったんですか。 |
| 内田泰造 |
当時はまだ会社の先行きも見えていませんでしたから。
でも、なぜか「何とかなる。」という根拠のない自信だけはありました(笑)。 帰ってきてから、めちゃくちゃ苦労するんですけど(笑)。 |
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| 丸尾 |
お二人とも、まったく違う業界で経験を積まれてきました。 |
| 内田直行 |
ものすごくつながっています。
実はジーンズづくりも似ているんですよ。
ミシンの調整なんかも、前職の経験がそのまま生きています。 |
| 内田直行 |
入社した当時は、「もっと縫製に近い仕事をしておけばよかったかな。」なんて思ったこともありました。
でも振り返ってみると、本当に全部つながっていました。
そして泰造の方は、現在担当しているのは営業やマーケティング、広報、自社ブランドの発信です。まさに内田縫製の「顔」となる役割です。 |
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| 丸尾 |
お二人は役割がきれいに分かれているんですね。 |
| 内田泰造 |
そうですね。
もちろんお互い相談しながらですが、それぞれ得意分野があります。
みんな一生懸命働いているけれど、同じ方向を向いているわけではありませんでした。だから最初に取り組んだのは、「会社を会社らしくすること」だったんです。
リーダーを置き、組織をつくり、目標をつくる。 |
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| 丸尾 |
さきほど伺った改善提案や小集団活動も、その積み重ねの先にあるんですね。 |
| 内田泰造 |
そうなんです。
その上で、社員一人ひとりが考えられるようになった。 |
| 丸尾 |
お話を伺っていて感じたのは、お二人とも「家業だから継いだ」というより、「この会社には未来がある」と感じたから戻ってこられたということです。 |
| 内田直行 |
まさにそうですね。 |
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この地域だから生き残れた。地域が育てたジーンズ縫製工場。
有限会社 内田縫製
内田縫製(有限会社内田縫製)は、1969年に創業された岡山県津山市のジーンズ専門縫製工場です。国内外の有名ブランドのOEM(受託製造)を手がける一方、2016年に自社ブランド「UCHIDA HÔSEI」を立ち上げ、企画・生産・販売までを一貫して行っている。

