[Uターン・Iターン・移住]いーなかえーるは、岡山県北の求人情報をご紹介します
人とのつながりに感謝し、人と人をつなげていきたい
Nutty’s
佐藤 伸也
岡山県にある、Nutty’s 佐藤 伸也 - 岡山県北の求人情報サイト「いーなかえーる」さんに、お話を聞いてきました。
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1はじめに。
丸尾 |
それでは、よろしくお願いします。 |
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佐藤 |
お願いします。 |
丸尾 |
佐藤さんは現在、「Nutty’s(ナッティーズ)」という会社を運営されていますが、こちらはどういったことをされているのですか? |
佐藤 |
現在は、岡山県勝田郡勝央町にある複合施設「NUTTYPLANT(ナッティープラント)」の運営と、企業やショップなど向けのデザイン制作を行っています。2016年1月に株式会社化を予定しています。現在NUTTYPLANTはカフェが中心の形態なんですけど、これからいろいろ増やしていこうかなとは思っています。 |
丸尾 |
今、デザイナーとしての拠点としては、こちらですよね。 |
佐藤 |
そうです、シェアオフィスであるアートインク津山を拠点として活動しています。 |
運営する複合施設NUTTYPLANT(勝田郡勝央町) |
2高校2年の時に休学して、京都に移住。
丸尾 |
佐藤さんのご出身と言うと? |
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佐藤 |
生まれたのは勝央町の豊久田というところです。 |
丸尾 |
「高校を休学して」って、あまりないですよね(驚)どういう感じだったのですか? |
佐藤 |
高校行っているときには、特に夢もなかったし、正直あまり勉強もしていませんでした。卒業できるかもわからないけど、このまま高校を出てもどうなるんだろう?とあるとき思ったのがキッカケですかね。 |
丸尾 |
京都に行ってからは、何をされていたのですか? |
佐藤 |
最初は街をとにかく歩いて、刺激になるものを探して、ずっとうろうろ歩いているうちに、歩くところも大分減ってきました(笑)とにかく街をまたさまよい、究極、さまようこともしなくなってきました。気づいたらとりあえずコインランドリーに洗濯に行って、毎週出ている週刊少年ジャンプを読むというルーティーンをしていて、しばらくしたときに「何で!?」みたいな(笑)感じになりました。 “俺、何でジャンプ読んどん!?なみたいな。こんなことしに来たんじゃないだろう!”ということで、どこにいたとしても自分のしたいことが見つからない限り、どこにいたって一緒だなと気づきました。 京都の街でできることって、もちろんあると思うんですけど、本当に京都という街に愛着があったり、何か目的があって住んだりとか、ならいいんだと思うんですけど、自分にはそのとき何も京都に固執する理由がなかったので、帰ることにしました。 |
322歳で独立後、経営を学ぶためにコンビニチェーンに就職。
丸尾 |
後から考えると、そういう時期は実は大切だったりしますよね。その後は? |
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佐藤 |
帰ってきたら、きたで、地元の高校のときの悪友とよくない遊びをしながら(笑)、仕事もだらだらやっていました。でも、そのとき転機がありました。 21歳くらいの時に、たまたまコンビニにアルバイトに行きました。暇だし行こうかな、みたいなという感じだったのですが、その当時店長だった人とよく話しました。 そのときに今もお世話になっている、経営者や店のオーナーの方との出会いがありました。こんな人たちが津山にいるんだな!?と思って、そこから仲良くなったりしました。その後、共同で古着やアンティークの店を運営したりもしました。でも結局、経営のことを何も知らないまま、ただ思いだけで店をオープンしたので、他の経営者やオーナーに依存していたというか、このまま続けてもしょうがないと考えるようになりました。 そしてそのころ、以前アルバイトをしていたコンビニの店長のところに行って話をしました。「もう店やめようかな」という話をしているときに、「経営をほんまに勉強したいんやったら、今度新店出るし、副店長で一緒に行かんか?」みたいな感じで誘ってくれました。そこから正式にそのコンビニエンスストアチェーンに入り働くようになりました。 |
4数字を追いかける経営は面白さの反面、違和感も。
丸尾 |
また、コンビニ業界に戻られたのですね? |
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佐藤 |
今から考えれば、コンビニエンスストアの仕事は、勉強になることが山ほどありました。商品管理や、計数管理などいろんなことを教えてもらえるし、10円のものを売ろうが1,000円のものを売ろうが、「ありがとうございます」という気持ちが自分になかったなと言うことにも気づきました。 それまでは、好きな人が、自分の好きなものを買ってくれたら満足。みたいなところからどんどん意識変わって、とにかく“経営って面白い”みたいな感覚を感じました。 数字が本当に上がれば面白い、そこから店長になり、店長になったらそのまま会社のほうの社員になったら、マネージャーという形で2店舗統括の役職になりました。 でもそのときに反面、数字を追うと、意味のわからないことがめっちゃ起きることも知りました。例えば80歳ぐらいのお客さんのおじいちゃんと、仲良く話していたら、僕が孫ぐらいの世代だから、かわいいと思ってくれるんです。でもこちらは、とにかくもう売らなきゃというのが強くて、脂っこいチキンをおじいちゃんに売りたくないんだけど、おじいちゃんは買ってくれてしまうんです。 「10個チキンLちょうだい」とか言っちゃうみたいな。「おじいちゃん、死んじゃうよ」みたいな。本当は売らなきゃいけないんだけど、納得して買ってくれているんだけど、そこに何か変な違和感を感じました。 食べ物もどんどん廃棄が出れば捨てる。人すらもお金であると感じている部分があったり、本当、お金ありきで仕事していたのがどんどん積み重なってきました。何か仕事として、世の中に必要かもしれないけど、自分がしたい仕事ってこうじゃないなと。 そのころから直感でイメージが湧き始めて、いろんなワードを紙に書き出し始めました。それが今のNutty’s(ナッティーズ)のもとになっているんです。 |
5お金だけじゃなく、感情も、誰も損しないことを仕事に。
丸尾 |
デザインについては、いつ頃から興味を? |
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佐藤 |
子供の頃から僕絵を描くのが好きでした。学生時代はずっと不良をしながらインテリみたいな。家に帰ると絵描いているみたいな感じでした(笑)。 |
丸尾 |
文化ヤンキーですね?(笑) |
佐藤 |
文化ヤンキー(笑)。もともと文化ヤンキーで来ていたので、業務では“お金”、“お金”と言っているんだけど、人が集まっている場所が楽しいなとか、イベントをすると人が集まって楽しいなとか、何か常に「人」を中心に妄想していました。 でも、自分がコンビニ業務でやっているのは、“人”中心じゃなくて“お金”中心というもので、すべてを考えているという世界であって、それは自分の至らなさでもあると思いますが、日々のやっていることから逃げ出したいというのも反面ありました。そうこうしていたら、会社のほうの方向性が変わって、コンビニチェーンを縮小するという方向になりました。でもその時、正直ホッとした自分がいました。縮小になったときに、「マジか!?」となった反面、「これから、好きなことできるな!」みたいな。 今度は絶対、ここまでの経験を生かして、本当にやりたいことを本当に楽しい形で、誰も損しない形でやりたいなと考えました。さっき話した、おじいちゃんのチキンの話が結構僕の中で大きくて。売れている、買ってくれている。でも何か気持ちは、損しているみたいな。このおじいちゃんも食べれないだろうから損しているみたいな。結果、売れているんだけどどっちも損しているみたいな。 だからもう誰も損しないことをしたい。それはお金だけじゃなくて、もちろん感情だったり、誰も損しないことを仕事にしたいと考えて、勝央町の家に帰っている最中に、今の複合施設の「NUTTYPLANT(ナッティープラント)」のもとになる建物を見つけました。 |
6初めてワクワクする感覚を感じた建物。
丸尾 |
その建物はもともと繊維工場だったんですよね? |
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佐藤 |
そうです、そうです。縫製をやっていた所で。でも僕は全然知りませんでした。 木とかグワーッ!って生えていて、ほぼ見えないぐらい周りを囲んでいました。入り口の道のところも草木で覆われていました。それを車でかき分けて、中を覗いたら、「コウモリめっちゃ飛んどるなー」と(笑)。 倒産でもしたんだろうなというのが露骨にわかるぐらい、室内には物がいっぱい散乱していていました。今まで30年近くそんな感覚がなかった、初めての感覚を感じました。たぶん純粋に、その時までワクワクしたことがなかったんだと思います。もちろん数字を追いかけている時も、楽しさはあるけどワクワクはしていませんでした。 けどその時、パッと見たときにイメージが見えました。その建物の中にカフェもあったり、人がいっぱいいてとか、いろんなものがあって、今つくっているんですけど、プロジェクターで映画が見られるようなスクリーンがあったりとか。何かそういう姿が想像できて、こんな場所にお店つくるって、多分すごいイカれているなと。そして100%誰もが反対するなと思って。 誰もしないであろう勝央町のこの場所で、ただクレイジーにやることがいいとかというのではなくて、“田舎だから無理”だとか、“津山のほうが人口いるから”とか、そういう考えが全部になってくると、ここは楽しくない町になると思いました。 そして、ここは複合施設で、人がどんどん集まりたくなるようなコンテンツを増やしていこうと考えました。その最初をカフェにしようというので、カフェをオープンさせました。でもまだNUTTYPLANT(ナッティープラント)は完成していないんですよね。 ナッティープラントは10年構想で、一応10年間で完成するんですけど、完成を待っていたら、いつまで経っても開けられないから、完成をするまでお客さんと一緒に楽しもうと。それも「つながっている」ということではないかと思って、未完成のままオープンさせました。 |
7アートインク津山でデザイン事業。ギアが上がる感触。
丸尾 |
そしてNUTTYPLANT(ナッティープラント)を運営しながら、デザイン事業もスタートされたんですよね? |
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佐藤 |
津山市産業支援センターの統括マネージャーの方が来店してくれていて、その方にレプタイルが運営するシェアオフィス、アートインク津山の話を聞きました。レプタイルについてはFacebookや、この“かえーる人”の記事もそうなんですけど、以前からずっと知っていて、もう本当にそれだけが理由で、「行きます」と言いました(笑) それまでデザインも事業としては表に出していませんでした。デザインの仕事は受けていたけど、事業として出すのはもう少し先と思っていました。数年先に自分の中で整理がついたらしようという部分だったので、本当にアートインク津山というのが軸で、逆に今のデザイン部門(キャメルワークス)を立ち上げようという考えが出てきたんです。 |
丸尾 |
イベント企画など、デザイン以外にもいろいろなことをされていますよね? |
佐藤 |
はい。正直ずっと何者かは模索しているんです。でも自分の中でいい意味で模索していて、何屋さんかはもうわからなくていいやとも思っています。とりあえず自分の仕事は、「誰も損をしない仕事をしよう」が1つと、絶対NOと言わない。それは相手にも自分に対しても言わないことです。 NOと言わない方法は、ただ言葉として断るとかそういう行為じゃなくて、自分はその仕事を受けられないとしても、自分が別の方法でその人の期待を裏切らないことはできるんじゃないかと考えるようにしています。それだけ考えていたら、何かしら1つ1つが繋がり、形になるんじゃないかなと思っています。1つ1つ、デザインだったり、企画だったりという、もらった話をとにかくやる内に、何か徐々に、1日1日が濃くなり始めて、楽しくなり始めた気がします。 |
8Nutty’s(ナッティ―ズ)、バカげたことに挑戦する人たち。
丸尾 |
Nutty’s(ナッティ―ズ)とはどういった意味なのですか? |
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佐藤 |
Nutty’s(ナッティ―ズ)って、イカれているとか、バカげたことに挑戦する人と言う意味です。もともとはこんなところでお店をやるってバカげているよねとか、何かそういうのを皮肉っていたんですよね。 ずっと見守ってくれていたお客さんだったり、ずっとオープンのときから知っている人たちからすると、もう「それ自体がお前だよ」みたいな。もうブレブレだよお前みたいな(笑)いつかお前がシャキッとするのを待っているんだよ!みたいな、そういう点でダメなナッティーズだったんですね。 今はもう自分の中では、バカげたことに挑戦するというのは、悪い意味じゃなくて、皮肉じゃなくて、自分の中でいい意味で消化でき始めています。本当にNOと言わないというのは、要するにバカげたことに挑戦するに近いと思うんですよね。 結局みんなで諦めているのって、自分を否定的に考えたりとか、地域を否定的に考えたりとか、ネガティブな部分が最終的にNOと言うほうを選んじゃっているのだと思います。それを1つ1つ成功させ、成功体験をすることで、自分ももともと否定的な人間でしたが、地域にいる人や、次の世代の人も否定的な部分を変えられるんじゃないかと考えるようになりました。何か盛り上げようとか、そういうおこがましい気持ちじゃなくて、自分の中で単純に、NOと言わなくなれば、地域は勝手に盛り上がるんじゃないかとか。 |
9特別な休日「スペシャルホリディ」。
丸尾 |
先日、佐藤さんが主催されている、ナッティープラントのイベント「スペシャルホリデー」に行きましたけど、たくさんの方が参加されていましたね。 |
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佐藤 |
そうですね。今回で3回目の開催なんですけど、1回目が7店舗出店という規模で始めました。ただ「特別な休日」という名前のとおり、のんびりとと思っていたんですけど、出店したい方がいらっしゃって、2回目の開催は、25店舗になりました。 |
丸尾 |
はじめて2回目で25店舗とは、もう既にすごい規模ですね(驚) |
佐藤 |
25店舗規模になり、大体駐車場の集計で来場されたお客さんが400人ぐらいになりました。そして、来ていただいた第3回目の開催が、出店店舗数が46店舗になり、お客さんが600人ぐらいになりました。 |
丸尾 |
お店の種類も食べ物関係から植物の人とか、クリエイターとか、すごく多種多様な人がいらっしゃいましたもんね! |
佐藤 |
そうですね。それも自分の力じゃ当然なくて、やっぱり出店してくれている人たちが、個々の強い思いがあって集まってくれているし、何かそういうのを最近だと「仕掛けている」というふうに言われるんですけど、本当に単純にNOと言わなかっただけなんですよね。別に計算したわけじゃなくて、ただあの場所に人が来ると面白いと思ったので。 あとはイベントを一過性に終わらせたくないというのがすごく強くあります。回を重ねるごとに出店してくれた人とはずっと付き合いがつづいています。本当に快く出てくれて、その日を楽しみにしてくれて、終わって、「すごくいいベントだったよ!」と言ってくれたり、SNSとかでいろんな人がその日のイベントをすごく楽しかったと投稿してくれるのを見るだけで、達成感もあり、次の励みになりますね。 |
46店舗が出店した第三回スペシャルホリディ |
10地元とは、普段関わっている人がいるところ。
丸尾 |
複合施設NUTTYPLANT(ナッティープラント)の中に、図書館という形で、本を介して人がつながれる場所をつくられるということですよね。 |
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佐藤 |
そうですね。そして12月の頭からクラウドファンディングFAAVO岡山でも「巡ノ文庫(めぐりのぶんこ)」プロジェクトを開始します。 |
丸尾 |
京都に出られて、地元に戻ってきて、活動をされていますが、地元へのこだわりというと言い方がちがいますかね。 |
佐藤 |
地元へのこだわりは、「いい意味で何もない」が魅力。いい意味で何もないんだけど、いい意味で何もないようであるとか、これ実はすごく僕の中で本当に今考えていることで、何もないといったって、人はいるんですよ。現象的に見ると、地域に例えば都会より田舎は建物が少ないとか、じゃ、飲食店が、都会なら1,000軒あるところが、田舎だから100軒しかないとかというのは、これは何か確かに目に見えて「ない」じゃないですか。けど、人口数は違えど、1人1人の命ということでは、人って変わらないじゃないですか。そこに人はいるわけだから。だから何か、 僕の中で都会と田舎の大差はないと思っています。そして地方に視点を当てると、「勝央町」と「津山市」は何が違うんだろうとか考えたときに、僕は、地元勝央町にいい意味でこだわりがないと感じています。けど、「岡山県北」にこだわりはあるという感じです。 何で県北にこだわりがあるかというと、自分が勝央町というところに住んでいて、津山で友達になった人がいて、西粟倉で友達になった人がいて、美作で友達になった人がいてとなると、僕からすると、友達がいる場所がもう全部地元なんですよね。普段関わっている人がいるところ。そうしたらやっぱり、地元を盛り上げたいになるので、僕にとっての地元って、自分と関わっている人がどれぐらいいるかというところですね。 |
丸尾 |
まさにそういう観点は、私も共感します。それでは最後に、佐藤さんが日ごろ大切にされていることというと、なにがありますか? |
佐藤 |
「人とのつながり」ですかね。人との関わり。もともと自分が、割と孤独を感じているほうだったので、周りにいる人のありがたみをすごく感じます。身近な人、大切な人、友達も、やっぱりその人がいて自分が生きているので、人をつなげたいというのはとても大きいです。「人と人をつなげていきたい」は本当に大きいワードですね、自分の中で。 |
人とのつながりに感謝し、人と人をつなげていきたい
Nuttyとは[ ばかげた・狂っている ]とゆう意味であり、”Nutty’s”とは無謀にも思える夢の実現を目指す人たちと、そんな人たちの会社。
複合施設NUTTYPLANTの運営、デザイン事業 CAMEL WORKS etc
たくさんお話を聞かせていただきありがとうございました。まさに「人と人をつなぐ」という想いを事業としてカタチにされていて、「地元とは、普段関わっている人がいるところ。」と言う言葉は、当たり前のようで新鮮な言葉でした。また、これからクラウドファンディング「巡ノ文庫」すごく楽しみです。佐藤さんは京都から岡山県北にUターンのかえーる人でした。
- 取材日:2015年11月17日
- 撮影地:アートインク津山、NUTTYPLANT