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[Uターン・Iターン・移住] いーなかえーるは、岡山県北の求人情報をご紹介します

この地域だから生き残れた。地域が育てたジーンズ縫製工場。

後編有限会社内田縫製 取締役

内田泰造(左) 内田直行(右)

津山市

#ジーンズ
#ブランドづくり
#縫製業界
#クラウドファンディング
#組織づくり

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5OEM100%から、自社ブランドへ。会社の未来を変えた挑戦

丸尾

前編の最後で、「ブランドがなかったら二人とも帰ってきていなかった」というお話がありました。改めて、そのブランドはどのような経緯で始まったのでしょうか。

内田泰造

ブランドを立ち上げたのは2016年です。
それまでは、本当にOEMだけでした。お客様から依頼をいただいて、そのブランドのジーンズを縫う。それが100%だったんです。

きっかけはつやま産業支援センターでした。
当時、「MADE IN TSUYAMA」の取り組みで、「津山からブランドを生み出したい。」というプロジェクトがあり、その中で声を掛けていただいたんです。
本当に、つやま産業支援センターの後押しがあったからこそ始められました。

丸尾

最初から「ブランドを育てよう」という強い想いがあったのですか!?

内田泰造

もちろん「やってみよう」という気持ちはありましたけど、今思えば、本当に勢いだったと思います。ブランドなんてつくったこともない。販売もしたことがない。
SNSもよく分からない。そんな状態でしたから。

丸尾

でも、その一歩が会社の未来を大きく変えたということですね。

内田直行

本当にそうです。僕はまだ入社していませんでしたけど、
もしブランドが始まっていなかったら、兄弟二人とも、帰ってきていないと思います。
新工場も建っていないでしょうし、若い社員もいないでしょうし、今の会社にはなっていません。ブランドが会社の未来を変えたと言ってもいいくらいです。

丸尾

直行さんご自身は、その頃は外で働かれていましたよね。
ブランドが始まった時、どんな印象だったんですか。

内田直行

僕は昔からジーンズが好きだったんです。
高校生の頃には、友達のジーンズの裾上げをしてあげたりもしていました。
工場が家の隣にあったので、ちょっとミシンを借りて。だからもともと興味はありました。

 

自社ブランドのジーンズサンプルを履いてみた瞬間に
「え、うちでこんなジーンズが作れるんだ。」って思いました。
それまで家業は、「親の仕事」という感覚でした。
でも、その一本を履いた時に初めて、「これは面白い。」と思えたんです。

丸尾

ブランドには、力がありますね。

内田泰造

本当にそうですね。
ブランドを始めたことで、会社の見え方も変わったと思います。

 

それまで縫製工場というと、「縫う場所」というイメージだったと思うんです。
でも、自分たちで商品を考えて、企画して、販売して、お客様の声を直接聞く。
そこまで経験できるようになりました。

 

そうすると、社員も変わっていくんです。
「自分たちが作っている。」という実感が生まれる。
その感覚はそれまでのOEMだけでは得られなかったものだと思います。

丸尾

ブランドができたことで、人材採用にも影響がありましたか?

内田直行

すごくありました。
ブランドを見て、「ここで働きたい。」と言ってくれる若い人が増えたんです。
以前だったら、縫製工場に就職したいという人はほとんどいませんでした。

 

でも今は、ブランドが好き。工場の雰囲気が好き。SNSを見て来ました。
そういう人が全国から来てくれます。岩手県。福島県。福井県。名古屋。香川県。
本当に全国から津山へ来てくれています。

 

最初に群馬県から一人入社してくれた時は、父も母も信じられなかったそうです。
「関東から、この山の中へ来るなんて。」「本当に大丈夫なのか!?」と何度も確認したそうです。それくらい、当時は考えられない出来事でした。

丸尾

今ではそれが当たり前になっているのですね。

内田泰造

そうなんです。
ブランドができたことで、お客様だけじゃなく、社員との出会いも変わりました。

丸尾

ブランドというと、どうしても「売上を伸ばすため」という印象があります。
でも、お話を聞いていると、それだけではありませんね。

内田直行

そうですね。
ブランドを始めたから売上が増えた、というだけじゃないんです。
ブランドが会社の雰囲気を変えて、社員を変えて、採用を変えて、
僕たち兄弟の人生まで変えました。

 

だから今振り返ると、あの時、「やってみよう。」と一歩踏み出したことが、
内田縫製にとって一番大きな転機だったんだと思います。

工場内に併設されているショップ

6一本のジーンズの先にある、人とのつながり。

丸尾

ブランドを立ち上げられた後、全国へファンが増えていきます。

内田泰造

そうですね。
正直に言うと、「こうやってブランドを大きくしていこう。」
みたいな戦略は、最初は全然ありませんでした。
ブランドを立ち上げた当初は、本当に何も分からなくて。
イベントへ行っても、お客さんが一人も来ない日もありました。

 

新宿の百貨店で販売した時なんかも、一本売れた時に、
「よかった、ゼロじゃなかった。」って思ったくらいです(笑)。
目の前を歩いている人に、三万円のジーンズを買っていただく。
今考えても、本当に難しいことですよね。

丸尾

そこから少しずつファンが増えていったわけですが、
何かきっかけがあったのでしょうか。

内田泰造

振り返ると、一本買ってくださったお客様を、とにかく大切にする。顔を覚える。名前を覚える。また来てくださった時には、「お久しぶりです。」と声を掛ける。

 

アフターサービスもそうですし、ジーンズのことだけじゃなく、
世間話をしたり、家族の話をしたり。そんな関係を積み重ねてきました。
僕たちは、「この一本を、この人に長く履いてもらう。」そのことだけを考えていました。

丸尾

「売る」というより、「関係を築く」という感覚ですね。

内田泰造

そうですね。また来てくださる。友達を連れて来てくださる。
そうやって少しずつ広がっていきました。
だから僕たちは、「一万人のお客様を一回きり」よりも、「一人のお客様が十回来てくださる。」そんなブランドでありたいと思っています。

丸尾

それは、お父様やお母様の販売スタイルも影響していますか。

内田直行

ものすごくあります。
僕が初めて販売について行ったのは、まだ入社する前でした。
会社を辞めて少し休もうと思っていた時期に、「勉強になるから来い。」
と言われて、東京の販売会へ同行したんです。

 

その時に見た父と母の接客は、本当に衝撃でした。
普通、アパレルショップって、「いらっしゃいませ。」から始まりますよね。

 

でも父と母は違いました。世間話をして、家族の話をして、趣味の話をして。
気が付いたら、親戚みたいな関係になっているんです(笑)。

 

しかも裾上げをする時には、お客様の前にしゃがみ込んで、
一本一本、本当に丁寧に長さを合わせていました。
「ここまでやるんだ」って思いました。

 

計算じゃないんです。目の前のお客様に、喜んでもらいたい。
ただ、それだけだったんですよね。

内田泰造

父がよく言うんです。「二本目を買ってくれたら親戚じゃ。」って(笑)。
もちろん冗談かもしれませんが、そのくらいの気持ちで接しています。

 

だから十年前に買ってくださったお客様が、今でも足を運んで「また来たよ!」って顔を見せてくださる。
それが本当に嬉しいんです。

丸尾

SNSでの発信も、その考え方につながっていますか。

内田泰造

はい。最初はフォロワーも100人くらいしかいませんでした。
でも、その100人を大切にしようと思ったんです。商品の宣伝よりも。

 

工場の日常。地域のこと。社員のこと。ものづくりの裏側。
内田縫製だから発信できることを伝えていこう。そう思って続けていました。

 

実は、外へ向けた発信というより、今のお客様が喜んでくれる投稿を意識していたんです。
だから、「今日は工場でこんな出来事がありました。」とか、
「ジーンズにはこんなこだわりがあります。」とか、
「地域のお祭りがありました。」とか。

 

今思えば、新しいお客様を集めるためというより、
応援してくださっている方との関係を深めるためのSNSでした。

丸尾

だから投稿を見ていると、ブランドというより、
一つのコミュニティを見ているような感覚になります。

内田泰造

それはすごく嬉しいですね。ジーンズを売るだけなら、
もっと違うやり方もあると思います。
でも、僕たちが届けたいのは、一本のジーンズだけじゃない。
この工場のこと。この地域のこと。ここで働く人たちのこと。
全部ひっくるめて好きになってもらえたら嬉しい。だからブランドというより、
内田縫製そのものを好きになってくださる方が増えているのかなと思います。

7全国へ広がったきっかけ。 それは、ファンの「欲しい!」という一言だった。

丸尾

ブランドを立ち上げ、一人ひとりのお客様との関係を大切にしながら少しずつファンを増やしてこられました。
その後、大きな転機になったのがクラウドファンディングだったと思います。
全国的にも大きな反響がありましたね。

内田泰造

そうですね。振り返ると、クラウドファンディングが成功したというより、その前の積み重ねが大きかったと思っています。

 

最初に挑戦したのは、2022年の「レインボーデニム」です。

 

クラウドファンディングページ(Makuake)
豪雨災害で途絶えた幻のデニム生地『レインボー』を復活させたい!

内田泰造

実はあの生地自体は、もっと前から存在していました。
父が見つけてきた、とても面白いデニム生地だったんです。
ジーンズの裏側に虹色の糸が現れる、とても珍しい生地で、「いつか商品化したい」と考えていました。

 

ところが、その矢先に西日本豪雨が発生し、生地が水に浸かってしまったんです。
計画は一度、止まってしまいました。

丸尾

そこから、どうやって再び動き始めたのでしょうか!?

内田泰造

ある日、SNSでその生地の写真を投稿したんです。
「以前こんな面白い生地がありました。」そんな内容でした。
すると、コメント欄に「欲しい!」「ぜひ復活させてほしい!」という声が、本当にたくさん届いたんです。
その時に思いました。「これは、挑戦してみよう。」と。

 

ただ、生地をつくるには大きなお金が必要でした。
1,000本分の生地を織るだけで、数百万円。
当時の内田縫製にとっては、とても大きな投資です。

内田直行

今だったら勢いでいけるかもしれません。
でも当時は、本当に怖かったですね。

 

1,000本作って、もし売れなかったらどうするんだ・・。そんな不安ばかりでした。
周りからも「本当にやるのか。」「そんな挑戦、大丈夫なのか。」と心配されました。
でも、クラウドファンディングなら、応援してくださる方と一緒に挑戦できる。
そう考えたんです。

丸尾

ページづくりも、すべてご自身たちで?

内田泰造

はい。
写真も。文章も。構成も。全部、自分たちでつくりました。
ブランドを始めてから積み重ねてきたこと。地域のこと。工場のこと。ものづくりへの想い。
全部、自分たちの言葉で伝えました。

 

公開した初日。本当に驚きました。
一日で約400万円ものご支援をいただいたんです。

丸尾

初日ですごいですね!?(驚)

内田泰造

正直、信じられませんでした。
最初に応援してくださったのは、今まで支えてくださったお客様です。
販売会で出会った方。SNSを見続けてくださった方。
何年も応援してくださっていた方。

 

その皆さんが、一気に動いてくださったんです。
その勢いでMakuakeのランキングにも入りました。
ランキング上位に掲載されたことで、それまで内田縫製を知らなかった方にも見ていただけるようになりました。

丸尾

まさに、それまで積み重ねてきた信頼が一気に広がった瞬間だったんですね。

内田泰造

そう思います。クラウドファンディングが成功したというより、応援してくださる方が、応援してくださった。それだけなんです。

 

だから、動いてくださった皆さんには、本当に感謝しています。

 

その後に挑戦された「双系デニム」のプロジェクトも、多くの共感を集めました。
しかし、その発想も、単なる新商品の開発ではありませんでした。

 

クラウドファンディングページ(Makuake)
ジーンズ縫製工場の新たな挑戦 『唯一無二の経年変化を遂げる双糸デニム』

丸尾

双系デニムのプロジェクトには、「地域への恩返し」というテーマがありましたね。

内田泰造

はい。
レインボーデニムは、生地を復活させたいという想いが強かったんですが、双糸デニムでは、「地域へ恩返しをしたい。」という想いが一番にありました。

 

内田縫製は、この地域があったから生き残れた会社です。
だから、その地域への感謝を、商品という形で表現したかった。
写真も、この地域で撮影しました。

 

地元の方にも協力していただいて、里山の風景の中で撮影しました。
ブランドのためというより、地域そのものを伝えたい。
そんな気持ちでした。

丸尾

商品だけではなく、背景にあるストーリーまで届けようとされているんですね。

内田泰造

そうですね。
僕たちは、生地が面白いから買ってほしいとは思っていません。
もちろん品質には自信があります。でも、それだけじゃない。

 

この工場で、この地域で、こんな人たちが作っている。
その物語ごと好きになっていただけたら嬉しい。

 

だからクラウドファンディングも、商品を売るというより、
内田縫製という会社を知っていただく機会だったのかなと思っています。

8「社員みんなでご飯を食べられる場所をつくりたかった。」

丸尾

今年、新工場が完成しました。
取材で初めて伺いましたが、「工場」というより、地域に開かれた場所という印象を受けました。あの新工場には、どのような想いが込められているのでしょうか。

内田直行

新工場というと、生産能力を上げるためとか、最新設備を入れるためとか、そういうイメージがあると思います。もちろん、それもあります。
でも、一番最初のきっかけは、実は全然違いました。

 

社員みんなで、ご飯を食べられる場所をつくりたかった。
それが一番でした。

 

以前の工場には食堂があったんですが、本当に狭かったんです。机が二つあるくらいの小さなスペースで、みんなが一緒に食べることはできませんでした。ミシンの横でお弁当を食べる人もいましたし、それが当たり前になっていました。

 

でも、それは違うんじゃないかと。
毎日一緒に働く仲間なんだから、せめてお昼くらいは同じ場所でゆっくり過ごせるようにしたい。そんな思いが、工場づくりの原点でした。

内田縫製 新工場の食堂
丸尾

「工場を建てたい」というより、「食堂をつくりたい」ということだったんですね。

内田直行

そうですね(笑)。
もちろん工場も古くなっていました。
雨漏りもしていましたし、冬になると隙間風が入ってきて寒かった。
床も傷んでいて、「ここは踏まないで」という場所もありました。
ずっと建て替えたいとは思っていました。でも、決断できなかったんです。

 

ブランドも少しずつ成長してきたとはいえ、この先もずっと続く保証はありません。OEMの仕事だってどうなるか分からない。だから何年も悩みました。

丸尾

それでも建てようと決断された。

内田直行

最後は勢いですね(笑)。
「大丈夫だ。」というより、「やってみよう!」そんな感じでした。
銀行さんも応援してくださいましたし、地域の皆さんも「頑張れ」と背中を押してくれました。それがなければ決断できなかったと思います。

丸尾

ショップも併設されていますが、工場のミシンの音が聞こえてきて、「ものづくり」をそのまま感じられる空間ですね。

内田泰造

ありがとうございます。以前は実店舗がなかったんです。販売会やネットショップが中心で、お客様が工場へ来られても、事務所の一角で対応するしかありませんでした。

 

試着室もありませんでしたし、商品の展示もほとんどできませんでした。
だから、いつかちゃんとしたお店をつくりたいという思いもありました。
でも、単なるショップではなく、「工場と一緒にある店」にしたかったんです。

 

ミシンの音が聞こえる。職人が働く姿が見える。
ここで一本一本作られていることを感じてもらえる。
それが内田縫製らしいと思ったんです。

丸尾

建物そのものも、この景色に溶け込んでいますよね。
窓から見える里山の風景も、本当に気持ちがいいですね。

内田直行

設計士の先生に一番最初にお願いしたのが、「この地域の景観になじむ建物にしてください。」ということです。

 

外壁には木を使っていただいて、屋根の色も周囲の景色に合うように。
「工場」というより、この集落の一部として自然に存在する建物にしたいと思っていました。実は途中までは、ショップも食堂も、現在とは反対側の道路側に配置するイメージをしていました。

 

でも設計士の先生が、「それではもったいない。」と言われました。
「ショップも食堂も、景色が一番きれいに見える側へ持っていきましょう。」
そう提案してくださったんです。

 

最初は驚きました。でも完成してみると、本当にその通りでした。

 

ショップへ来られたお客様も、ほとんどの方が窓際で写真を撮って帰られるんです。社員も、お昼休みに外を眺めながら食事をしています。

 

社内で評価面談をする時もそうです。
少し重たい話になっても、ふと外を見ると気持ちが和らぐ。
この景色には、そんな力があるんですよね。

丸尾

工場を新しくしたというより、「環境」を新しくしたという印象ですね。

内田泰造

本当にそうです。
社員からも、「全然違います。」という声が多いですね。昼休みもゆっくりできるし、お客様も来やすくなりました。そして何より嬉しかったのは、地域の皆さんの反応でした。

 

OBの皆さんも、「ええ工場ができたなぁ。」と、自分のことのように喜んでくださって。町内の方や消防団の先輩方も、「頑張っとるな。」「もっとこうしたら面白いんじゃないか。」と、本当にたくさん声を掛けてくださいます。

 

地域のみんなが、自分たちの会社のことのように考えてくれる。
それが本当にありがたいです。

9一本のジーンズを、長く愛してもらえるように。

丸尾

最後に、これからの内田縫製についてお聞かせください。
これからどんな会社になっていきたいと考えていますか。

内田泰造

今のまま、変わらずやっていきたいです。もちろん、ブランドをもっと多くの方に知っていただきたいという気持ちはあります。

 

でも、それ以上に大切にしたいのは、地元の地域の方や、これまで応援してくださったお客様との信頼関係を、これからも変わらず守っていくこと。

 

私たちが大切だと思うことを、一つひとつ続けていく。その積み重ねが、これまでと同じように、少しずつ応援してくださるお客様を増やしていくことにつながるのではと思っています。

丸尾

事業規模を追いかけるというより、一人ひとりとの関係を育てていきたい、と。

内田泰造

そうですね。
僕たちが作るジーンズは、何本も買い替えるようなものではありません。
一本を何年も履いてくださる方がたくさんいます。
色が落ちて、少し破れて、また修理して。

 

そうやって十年、二十年と履き続けてくださる。
だから、売ったら終わりではないんです。
裾上げもしますし、修理もします。履き方の相談も受けます。
お客様と長く付き合っていくことが、僕たちの仕事だと思っています。

内田直行

ジーンズって、不思議なんですよ。
履けば履くほど、その人だけの一本になっていく。色落ちも違うし、
シワも違う。その人の暮らしが刻まれていく。

 

だから僕たちは、一本を長く履いていただけるようなものを作りたい。
そして、長く付き合える会社でありたい。そう思っています。

丸尾

その考え方は、まさに内田縫製という会社づくりにも重なりますね。

内田直行

そうですね。社員との関係も同じです。地域との関係も同じです。
一気に大きくなるより、長く続く会社でありたい。
その方が僕たちらしいと思っています。

丸尾

地域との関わりも、これからも。

内田泰造

もちろんです。ここまで来られたのは、本当に地域のおかげですから。
新工場ができた時も、地域の方が自分のことみたいに喜んでくださいました。
消防団の先輩方も、OBの皆さんも、町内の皆さんも。みんなが応援してくれる。

 

だから、今度は僕たちが返していきたい。地域が元気になるようなことを、
少しでも増やしていきたいと思っています。
商品づくりでも、イベントでも、工場でも。
この場所に来て、「また来たいな。」と思ってもらえる場所にしたいですね。

丸尾

最後に、お二人が大切にしている言葉があれば教えてください。

内田直行

特別な言葉というより、「より良くする。」
ということを、いつも考えています。工場もそうですし、製品もそうです。
昨日より今日。今日より明日。少しでも良くしていく。
その積み重ねが会社をつくると思っています。

内田泰造

僕は、「感謝を忘れないこと」ですね。
お客様もそうですし、社員も、地域の皆さんも、取引先の皆さんも。
本当にたくさんの人に支えられて今があります。

 

自分たちだけでは、ここまで来られませんでした。だから、これからも感謝を忘れずに、一人ひとりとのつながりを大切にしていきたいと思っています。

この地域だから生き残れた。地域が育てたジーンズ縫製工場。

有限会社 内田縫製
内田縫製(有限会社内田縫製)は、1969年に創業された岡山県津山市のジーンズ専門縫製工場です。国内外の有名ブランドのOEM(受託製造)を手がける一方、2016年に自社ブランド「UCHIDA HÔSEI」を立ち上げ、企画・生産・販売までを一貫して行っている。

お話を伺っていて感じたのは、内田縫製さんは「地域にある会社」というより、「地域そのものが育ててきた会社」だということです。
創業当時、牛舎から始まった工場。苦しい時代をともに乗り越えてきた従業員の皆さん。そして今も工場に集まり、昔話に花を咲かせるOBの皆さん。その一つひとつのエピソードから、この会社が地域との深い絆の中で歩んできたことが伝わってきました。
だからこそ、工場全体に流れる温かな空気や、社員の皆さんの自然な笑顔があるのだと思います。

 

複数の糸がセットされた工業用ミシンを捉えたモノクロ写真。

 

今回のお話を通して強く感じたのは、自社ブランドを立ち上げるということは、単に新しい商品をつくることではなく、「会社の未来をつくること」なのだということです。
ブランドが生まれたことで若い人が集まり、全国から仲間が集まり、ご兄弟も家業へ戻られました。そして、会社の雰囲気や働き方までも変わっていった。その歩みは、ものづくりの可能性を改めて教えてくれました。

 

窓を背にしてアンティークミシンに向かう様子を捉えたモノクロ写真。

 

そして、内田縫製というブランドには、一般的な「このブランドが好き」という感覚とは少し違う魅力があります。

 

デザインやシルエットが好きというだけではなく、「内田縫製だから買いたい」と思わせるブランド。

 

それはきっと、一本のジーンズの向こう側に、つくり手の顔が見えるからなのでしょう。ものづくりへの想いも、地域とのつながりも、働く皆さんの笑顔も、すべてがお客様へ伝わっている。だからこそ、一度出会った方が、またこの場所へ帰ってきたくなる。内田縫製というブランドは、そんな”帰ってこられる場所”になっているのだと感じました。

 

店舗のカウンターに置かれた旧式ミシンと糸のモノクロ写真。

 

クラウドファンディングの成功も、決して偶然ではありませんでした。

 

一本のジーンズには、職人の技術だけでなく、地域への感謝、お客様とのつながり、そして57年という歴史が織り込まれています。その積み重ねが、多くの方の「応援したい」という気持ちにつながり、全国へと広がっていったのだと思います。

 

「内田縫製」の看板の前に立つ男性の横顔を捉えたモノクロ写真。

 

取材を通じて見学させていただいた新工場も、とても印象的でした。
社員の皆さんが一緒に昼食を囲める食堂。ミシンの音が聞こえるショップ。窓いっぱいに広がる美しい里山の風景。
そこには、生産効率だけを追い求める工場ではなく、人が集い、人と人がつながる場所をつくりたいという想いが詰まっていました。

 

「この地域だから生き残れた。」
その言葉の意味を、新工場を訪れて改めて実感しました。
地域に支えられ、地域とともに歩みながら、新しい価値を生み出していく。

 

内田直行さん、内田泰造さんは、地域への感謝を胸に、一本のジーンズを通して人と人をつなぎ、ジーンズ縫製業界の未来を切り拓いていく「かえーる人」でした。

 

広い空と芝生を背景に、工場の敷地内で立ち話をする3人。

 

▼2016年にお父様であり、社長の内田政行さまに取材をさせていただいた記事です。
職人として、価値を生み出す楽しさを感じてもらえるように。

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▼前編はこちら
この地域だから生き残れた。地域が育てたジーンズ縫製工場。(前編)

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  • 2026年7月3日
  • 有限会社内田縫製 本社工場(岡山県津山市)
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