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たくさんの人が、家具をとおして森にかかわれる

木工房ようび 

大島正幸

西粟倉村

岡山県にある、木工房ようび 大島正幸 - 岡山県北の求人情報サイト「いーなかえーる」さんに、お話を聞いてきました。

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1はじめに

丸尾

カエール人編集部 丸尾宜史 (以下、丸尾)
ここ西粟倉村で家具工房をされていますが、もともとはどういったかたちで始められたのですか?

大島

大島正幸(以下、大島)
生まれは栃木県なんですが、2009年の8月6日に岐阜から西粟倉村に移ってきました。
移ってくる前は岐阜の飛騨高山で家具職人をしていました。

丸尾

岐阜で家具職人としてスタートしたのですね。

大島

大学の建築学科を出た後、岐阜県で2年間、無給で家具づくりの技術を学べ“丁稚奉公”をさせてくれるところがありまして、そこで技術を学びました。その後4年半くらい飛騨高山で家具デザイナーと家具職人をしていたんです。

220歳での挫折。それがきっかけで家具の道へ

丸尾

もともと家具をつくろうと思ったきっかけは、なにかあったのですか?

大島

まず、実家が家も建てる土建屋さんでしたので、職人に囲まれて育ったということが一つあります。

丸尾

なるほど。職人さんを見て育ったのですね。

大島

そうして職人さんを見て育って、大学の建築学科に入って20歳のときに図面を描いたんです。
平面図を描いていたんですけど、目をつむった時になかなかイメージが自分の頭の中で立ち上がらなかったんですよ。

丸尾

そうなんですか(驚)やはり線をモノにしていくことは簡単にはできないんですね。

大島

実家の仕事も見ていましたし、家をつくるのは本当にたくさんのお金がかかりますし、生涯にわたる財産をつくることです。
その時、自分は責任が負えないんじゃないかと考えました。実はその時、自分の中で挫折したんです。

丸尾 

その時の挫折が、分岐点でもあったのですね。

大島

実家の仕事を継ぐか、別の道に進むか考えました。
そのあと父親にも相談し、丁稚奉公で家具職人トライアルをさせてくれるところがあると聞き家具の道にすすんで、13年がたちます。

3西粟倉“百年の森林構想” 、日本の森をはじめて見た

丸尾

ヒノキで家具をつくろうと思ったきっかけはあったのですか?

大島

西粟倉村の“百年の森林構想”を西粟倉・森の学校代表取締役の牧大介さんにお聞きしたのがきっかけです。

丸尾

もう少し詳しくお聞かせいただけますか?

大島

普通の家具職人って、お金で材料を仕入れてそこからどうデザインして・・・というような仕事なんです。
材料になるもっと前段階、生えている木の段階なんかを見ることはないんです。
そしていいものをつくろうと思えば思うほど家具職人ってどんどん工房で頑張ります。そうしたら職人って“明るいひきこもり”になっていってしまうんですよ(笑) 外に出なくなるんです (笑)

丸尾

確かにそうなるのかもしれないですね。

大島

ぼくも家具をつくり始めてから7年くらいたって、“百年の森林構想”を聞いてこっちに足を運ぶまで、日本の森がこんなに荒れているなんて知らなかったんです。山が荒れているって、そんなことは遠い外国の話かと思っていたのですが、実際は本当に近くの山が荒れていると知りました。

丸尾

森が荒れているとはどういうことなんですか?

大島

山が飽和状態になっているということです。木がたくさんありすぎて密集しすぎている状態です。そうなると間引きをして行かなくてはならないんです。
ヒノキと杉が多いんです。私は家具職人なんで、ヒノキをつかって家具をつくることで山がきれいになるんだということが分かったんです。それが今から5年前。やっと5年前に気づいたんですよ(笑)

4ヒノキの家具は、普通につくると壊れます(笑)

丸尾

なるほど。でもヒノキは家具にはむいていないと言われていますよね?

大島

普通はもっとかたい木でつくります。ヒノキの家具が今までなかった理由は、もともと家具の技術が西洋で生まれているからでもあるんです。でもヒノキはほぼ日本にしか生えていません。だから素材と技術がミスマッチしているんです。

丸尾

今までの家具をつくる技術自体が、ヒノキという素材に合ってなかったのですね。

大島

そうです。ヒノキ家具を西洋の技法そのままでつくると壊れてしまいます。初めは1年半くらい研究でした。
ヒノキで家具をつくれるんですけど、ヤボッたくなるんですよ。でもヤボッたい家具は欲しくないじゃないですか?
スマートな形でつくれたらいいじゃないですか?

丸尾

たしかに、強度も必要ですし、デザインも必要ですよね。

大島

そしてもう一つヒノキ自体が昔からそんなに多かったのかというと・・・戦後、今から50年前に一斉植林したので、“今だから”たくさんあるんです。昔からそんなにたくさんあったのではないんですよ。
昔から家具としての実績がないのも、資源としてヒノキがなかったのでつくりようがなかったんです。だからお寺とかそういう由緒あるところにちょっとだけちょこっと使われてきたんです。それがようやく私たちの生活にも使えるようになって、ヒノキはこれからの家具の材料だと思っています。

5ヒノキの家具を通して、ド田舎から海外へ!

丸尾

ヒノキは、家具の面から見て良いことはどんなことがあるのですか?

大島

家具の面からみるとまず軽いです。異常なほど軽いです!だから女性とかお年寄りに優しい。
重い椅子は引けないですからね。それからすごく香りがいいです。それらが大きい良い部分です。

丸尾

湯郷の方の温泉宿泊施設の家具にもこちらのヒノキの家具が一式入っているそうですね。

大島

このあたりの施設などで使っていただけるのは嬉しいですね。旅館さんで使うと空間が明るくなるんですよ。白いからとても清潔感があります。
ご意見表に、お客様から家具が良かったと書いていただいたりしてとても嬉しいですね。

丸尾

それは素晴らしいですね。最近では海外でも取り上げられていますしね。

大島

そうですね。海外からも問い合わせが増えてきています。でも英語がちょっと苦手で(笑) 会社としては、ド田舎から海外に売っていくことを中間目標にしています。
これから責任を持てる形で海外に出て行くということで準備しています。

6人生がより楽しく、より挑戦的になった

丸尾

飛騨高山から岡山県北、西粟倉村に来られるきっかけも“百年の森林構想”を聞いたことだったのですね。

大島

そうです。西粟倉・森の学校の牧大介さんから聞いたことがきっかけです。もともとは妻と牧さんが大学のころからの知り合いで、実は妻のほうが山の取り組みを始めたのは早いんですよ。そのとき僕はついていって森の現状を見て、聞いてショックを受けました。
50年後に向かってきれいな森をつくっていく話を来きました。

丸尾

それが大きな転換となったのですね

大島

なんかすごい夢があるじゃないですか?家具をつくるときれいな風景ができて、お客さんも喜んでくれるって。ここ西粟倉村でやりたいなと思いました。その日に牧さんに西粟倉に来たいことをつたえ、次の日に前の会社に辞表をだしました。

丸尾

あらためて、西粟倉村に来られてよかったことはなんですか?

大島

人生がより楽しく、より挑戦的になりました。いろんな人に出会えますし。ようびという工房は、明るい工房を目指しています。
普通の職人さんは挨拶が控えめだったりするじゃないですか?なんでお客さんのものつくっているのにこんなに根暗なのか(笑)

丸尾

確かにそんな印象があるかもしれません

大島

“頑固でいい”と言われますけど、実は“つくり手から押し付けているだけじゃないの?”と思ったりもします。ウチの職人さんは“ホスピタリティのある家具職人”を大事にしていています。人が来てくれることが本当にうれしい。一緒にご飯食べたりとかしますしね。

丸尾

とても素晴らしいことです。たくさん人が来られるようですね。

大島

工房には毎月たくさんの方が来てくれます。出会いも楽しいですし、ヒノキ家具というチャレンジが始まって今でも毎日が研究なのです。“よりキレイに”だとか、“より美しい”とか、“よりシーンに合う” 物が研究の中でうまれたり、これからお披露目もできると思います。

7ただ家具をつくるのではなく、やがて風景になるモノづくり

丸尾

これからもすごく楽しみですね。

大島

ただ家具を、ルーティーン的にたんたんとつくるのではなくて、自分たちが何かに気づき、何かをつくりだしていく。
大変なんですが、楽しい部分でもあるんです。沢山の人に喜んでもらえるから。

丸尾

それが先ほどおっしゃった挑戦的になれるというところなんですね。それでは最後になるんですが、大島さんが普段から大切にされていることはなんですか?

大島

日頃思っている姿勢としては、伝統工芸などをいかしているんですが、「守る技術から、求められる技術へ」。つまりお客さんが豊かになって
喜んでもらうために、求めてもらう技術を身に着けて私たちがつくったものをお渡しする。それでよろこんでもらうことをこれからも大切にします。
あと、会社の目標が、「やがて風景になるモノづくり」です。“百年の森林構想”があと44年でおわるんですけど、終わった時の目標は今まで関わった人ときれいになった森で大宴会をすることです(笑)

丸尾

大宴会ですか?(笑)

大島

ワンピースみたことあります?あれ敵も味方も戦いが終わった後、見開きで大宴会してるじゃないですか?あれがやりたいんです(笑)
「いやぁ!いい人生だった!!」って (笑) 森を大切にしている人、ヒノキ家具を通して応援をしてくれた人。椅子を買ってくれた人もいい森をつくった人なんですよね。
そういった人と宴をしたいですね!

たくさんの人が、家具をとおして森にかかわれる

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岡山県の小さな村、西粟倉村で家具や暮らしの道具をつくっています。
無垢の素材、伝統的な木組みの技術を活かしつつ、現代の暮らしにあったものを作り出し一つ一つ、心を込めて、丁寧にお届けします。

取材に対応いただきありがとうございました。同年代の経営者でもあり職人でもある大島さんにとても多くのものを学んだ気がします。大島さんは飛騨高山から西粟倉村にIターンのかえーる人でした。

  • 撮影日:2014年5月29日
  • 取材地:木工房ようび
岡山県北で
はたらく
くらす
かえ~る人