[Uターン・Iターン・移住]いーなかえーるは、岡山県北の求人情報をご紹介します
自分のできることは何か?で、もっともっと楽しくなる
株式会社和田デザイン事務所 代表取締役
和田優輝
岡山県にある、株式会社和田デザイン事務所 代表取締役 和田優輝 - 岡山県北の求人情報サイト「いーなかえーる」さんに、お話を聞いてきました。
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12013年グッドデザイン賞を受賞
丸尾 |
和田さんは、デザイン事務所をされていますが、建築関係のデザインをされているのですよね? |
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和田 |
建築関係が主で、地域づくりや、企業のブランディング、観光振興なども行っています。 |
丸尾 |
昨年は、nap villageさんの件で、グッドデザイン賞も受賞されてますよね! |
和田 |
クライアント企業さまの移転に伴い、吉備中央町の廃校の跡地を利用して工房をつくったんですけど、場所を見つけるところから、ご提案をしました。 |
丸尾 |
素晴らしいですね!そして、住宅も手掛けられるのですよね? |
和田 |
そうですね。普段は家づくりが8割くらいですね。2割くらいが店舗さん等です。 |
丸尾 |
一級建築士だけではなく、宅地建物取引主任者、ファイナンシャルプランナー等の資格も持たれているそうですね? |
和田 |
津山に来て、お客様と接するうえで必要だと思い取得しました。家を建てるとなると、建築だけではなく、お金や土地の事も関係してきます。お客さんの悩みは広く、御長男の方ですと受け継いだ土地をどうすればよいか?など・・・設計士であるとともに、お客様のパートナーとしてどんな質問が来ても対応できるようにしています。 |
2田舎へのルーツは都会育ちだったこと
丸尾 |
和田さんがもともと建築デザインの方に進もうと考えた何かきっかけが、あったのですか? |
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和田 |
高校の時に、これから生涯にわたって関われる仕事をしたいと思いました。そんな仕事ってどんな仕事だろう?と考えたときに『建築』は高校生の私には理解しやすかったのでしょう。また当時は地球環境などのキーワードにスポットが当たっていました。手先が器用だったこともあり、環境に関わる仕事ということで建築に進んだんです。 |
丸尾 |
なるほど。和田さんは生まれはどちらでしたっけ? |
和田 |
東京都の練馬区、住宅街ですね。そこで完全に街中の子として、学生時代まで育ちました。 |
丸尾 |
完全に都会の人だったのですね(驚) |
和田 |
そうです。親戚も東京や埼玉等近郊にいたので、小学校の時夏休みの作文を書くにしても“田舎のおじいちゃん家に行きました”の記憶がほとんどないんです。みんなが“飛行機なんかで田舎にいってきました”、みたいな話がすごくうらやましかったですね(笑)でも、すごく遠い親戚が長野にいたんです。1回しか行ったことないですけど。その記憶は強く残っています。 |
地域の方々と協力して運営している津山高倉の里山にあるプレーパーク |
3一人一人のお客さんの家づくりに、とことん向き合う
丸尾 |
そこが、今につながるルーツと言うとこですね。 |
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和田 |
大学院を卒業してから、大阪で設計会社に勤めていました。全国規模の会社だったので、大阪に配属になったんです。 |
丸尾 |
大阪の設計会社では、同じく建物の設計をされていたのですよね? |
和田 |
はい。でも実は、そのころは今とは全く違って、駅前の設計等の都市計画に携わっていました。 |
丸尾 |
そのころの経験も今生かされているのですね? |
和田 |
都市計画は、行政や、市民の方が、何を求めているかを起点として、地域づくりのやり方、ハードに落とし込む方法や、法律などもかかわってきます。今はそれを活かして、一人一人のお客さんの家をつくることにとことん向き合っています。他の設計士さんとは経歴がちがいますが、『世の中で気持ちよくくらす』ことに関しては、いろんな部分で以前の仕事とはつながっています。 |
丸尾 |
その後、大阪からここ岡山県北に移ってこられたきっかけは、なんでしたか? |
和田 |
妻がここにいたから(笑)です。出会いは東京時代ですがその話はオイオイ・・・お酒でも飲みながら(笑) |
丸尾 |
やっぱりギャップがあったでしょう。一番最初に津山に来られて感じたことはなんですか? |
和田 |
町並みは暗くて見えなかったです(笑)本当に!私は都市部の事しか知らなかったので。東京や大阪を中心に世の中を見ていました。でも、街灯がなくて何も見えなかったり、タヌキが出てきたり。驚きもあり、そして楽しくてしょうがなかったです(笑)もともと ペーパードライバーの私から見ると生活スタイルは激変でしたね。 |
4直接人と向き合える、それが最大のやりがい
和田 |
仕事の面では、もともとはコンクリートの建築物をつくっていたのが、木造で仕事をするようになり技術的な面も違いますし、なにより職人さんやお客さんと直に接するようになりました。 |
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丸尾 |
具体的にどう変わりましたか? |
和田 |
思いをお客さんに直接聞いたり、直接お客さんに思いを伝えることができます。つくり手としても、一ビジネスマンとしても、すごくありがたい経験ですね。お客様が“こうしたい”は以前の大阪の仕事では3人は間に人が入っていました。なので本当にそれがしたいのかは推測になるんです。こちらから提案を出す時も人経由でしたから。今は規模も小さくすることで、直接の関係が築けるということが、最大のやりがいです。 |
丸尾 |
お客さんと直に接することが、やっぱり本当にやりたかったことだったのですね。 |
和田 |
それに、そこからしか見えてこないこともあります。 |
丸尾 |
というと? |
和田 |
誰か経由できたことは、頭で考えるしかないんですよね。『こっちの案のほうがよいと思う』と言う話も、なんでそうなんだ?と思っても、クライアントが言っているから『かもしれない』『だと思う』になります。今は、目の前で御夫婦が、言い争ってみたり、「私はこっちがいい。」「いいやこっちがいい」とかそういった話を自分がどうくみ取るか。目の前でプチ夫婦喧嘩が始まることもありますが (笑) 人と向き合うことで、この方たちが一生涯暮らす家をどうしたらよいか?それを真剣に考えることができています。そして次は、提案するので、提案する力も試されます。そういう立場に自分を置けていることがすごく良い経験です。 |
5そして、地域づくりの活動へ・・・
丸尾 |
地域活性化の起業家を支援する活動も主催されていますよね? |
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和田 |
そうですね、実際は必ずしも起業を目指していなくて、少しでも地域や身近な暮らしの事を自分事として考えるきっかけになればと思い、地元内外の有志のメンバーと共同で主催しています。そもそもは2年前、高倉地区の自治組織が講師を呼んで活動をされていました。 |
丸尾 |
大きな都市づくりから、個人の住まい創り、そして地域づくりの活動へと広げられているのですね。 |
和田 |
子育て環境、生活環境の素晴らしさです。自分自身が津山に来て暮らしのフィールドを広げていくのと同じように子供も育っていく。春であれば、つくしなんかも生えていますし、野山に上らせて泥だらけになる。そんな経験は、私自身東京でほとんどできなかったことです。私は感性に関わる仕事をしていますので考えるのですが、感性は若いうちにしか育まれないと思っています。年をとっても頭はでっかくできますけど。 |
丸尾 |
それでは和田さんが日ごろから大切にされていることはありますか? |
和田 |
これは自分に向けてでもありますが・・・。人任せではなく自分でやることが大事だと思っています。 |
自分のできることは何か?で、もっともっと楽しくなる
2013年グッドデザイン賞受賞
“LOCAL × DESIGN”
「地域×デザイン」で暮らしの可能性を拓く。FINELIFE PROJECT
株式会社和田デザイン事務所
取材に対応いただきありがとうございました。田舎を満喫することができました。和田さんは東京から津山にIターンの岡山県北にエールをおくるかえーる人でした。
- 取材日:2014年4月10日
- 撮影地:津山市