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伝統文化に甘えず、リスペクトし新たな文化に。

御前酒蔵元辻本店 

辻 総一郎

真庭市

岡山県にある、御前酒蔵元辻本店 辻 総一郎 - 岡山県北の求人情報サイト「いーなかえーる」さんに、お話を聞いてきました。

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1御前酒辻本店 七代目蔵元

丸尾

では、よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

丸尾

辻総一郎さんは、御前酒辻本店の七代目蔵元 代表取締役ですけれども、会社の方ではどういった事業を展開なさっておられますか?

1804年の創業で、メインは日本酒、清酒の製造販売業でございます。

丸尾

そして、その他にも取り組まれているようですね。

こちらの辻本店の向かい側が、レストランとショップ、カフェも運営しております。

丸尾

ちなみに素人なんですけど、お酒づくりにここ勝山が向いているとかというのは、もともと水があったりとかでしょうか?

そうですね。やっぱり一番大事なのは水なんですね。お酒の8割は水でできているので。まず、水といっても、いわゆる鉄分が多かったらだめとかって、この旭川の水質が酒造りに合った。あとはやっぱり気候ですね。岡山県北の寒冷な気候というのは、やっぱり酒づくりに非常に最適であると思います。

22007年より蔵人の世代交代。そして新たな日本酒造り。

丸尾

メインブランドとされているお酒というのは、もちろん御前酒ですが、そのほかにも「GOZENSHU  9(NINE)」ですとか、とってもオシャレで斬新だったりしますよね。こういった商品の開発とか企画というのもされているということですね?

そうですね。中身のお酒に関しては、私の姉が杜氏(とうじ)をしていていまして、私は企画や販売営業などといったところをメインにさせていただいています。

丸尾

歴史があって、とても質の高いお酒をつくられながら、伝統的なものを活かしつつ、新たなものをつくろうと思われたきっかけはありますか?

私の姉も、私もですけども、この蔵に帰ってきて15、6年です。当然それより以前にうちの父や祖父が先代の蔵元としていて、御前酒というブランドを長くやってきました。
私たちが生まれた昭和50年代前半から半ばぐらいが、一番日本酒の出荷量のピークで、ちょうど私たちがここの蔵に帰ってきた頃、一番日本酒の需要が低迷していた頃でした。

私たちが帰ってきた頃というのは、本当に日本酒が売れなくて、どうしようかと言うときだったのですけど、その中で、日本酒のユーザーというのは圧倒的に60代、70代の方々がほとんどでした。

この先どうしていきたいかと2人で話をして、やっぱり同世代、もしくは自分たちより若い世代に日本酒をもっと飲んでもらうために、何かしたいという話になりました。
ちょうどその時期に、いわゆるお酒をつくる職人さんたちも、60代、70代のおじさまばかりでお酒をつくっていたんですけど、ちょうど私の姉が2007年に杜氏(とうじ)になりまして、そのときにガラッと世代交代もしました。

当時、蔵人たちが20代のメンバーにガラッと若返って、当然今までの御前酒の味や、歴史を守っていくというのはもちろん大切なことではあるのですが、それプラス、これからの世代に向けた日本酒をつくろうという話が始まりました。

それで2年、3年ぐらい時間をかけてでき上がったのが、この「9(NINE)」というお酒です。だから2009年にこのシリーズは展開をスタートしました。

3革新する清酒 GOZENSHU 9(NINE)

丸尾

「9(NINE)」は何種類かありますけど、例えば地元のユズを使われたものとか、すごくおいしいですよね。

ありがとうございます。

丸尾

そういった地域の食材を使ってというところは、こだわられているところですか?

そうですね。もともと御前酒は長年やっていますけども、まず、日本酒の原料はお米です。必ず岡山県産を使うというこだわりもありますし、仕込みに使うお水も、蔵のすぐ近くを流れている旭川(あさひがわ)の仕込み水を使っています。やはり地元産にこだわるというのは我々の一番ポイントですね。ユズにしても、久米南町のユズ果汁を使っております。

丸尾

スパークリングもありますね。

「9(NINE)」は全部で6種類ありまして、緑色のものがいわゆるレギュラーボトルで通年のタイプです。ホワイトボトルが冬限定の生原酒タイプ。スパークリングは一応、年に2回仕込むようにして、年間を通して販売するようにしています。ユズも年間通してやるようにしています。残りの2種類というのが、夏限定バージョンと秋限定バージョン、全部で6種類ですね。

丸尾

日本全国で販売ということになりますよね。

そうですね。海外でも一部出しています。発売当初というのは、こういう見た目なのでなかなか受け入れていただけなかったんですけど。

丸尾

日本酒としてはということでしょうか。

そうですね。こんなのは日本酒じゃない、みたいな感じで。特に私たちの業界は、その頃はまだまだ本当に保守的なところがあり、もともとそういう業界なので、いわゆる墨字の日本語、漢字のラベルというのがほとんどという中ででしたので。

3年目、4年目ぐらいから、徐々に徐々に、日本酒業界自体が本当に、私たちだけでなくて、他県の酒蔵さんなんかも世代交代がちょうど始まったぐらいで、比較的日本酒を自由な発想でつくっていこうという流れが出てきました。それからだんだんと受け入れていただけるようになったりとか、また海外の方でも評価をいただいたりして、今ではうちのメイン商品になってきていますね。

4「西蔵(にしくら)」と「東蔵(ひがしくら)」

丸尾

そして、通りを挟んだ向かい側がレストラン、ショップとカフェですね。

そうですね。1階が蔵元の直営店で、あとカフェがあり、2階がお食事処ですね。

通りを挟んで西側にある西蔵(にしくら)。

丸尾

「にしくらカフェ」という名前ですね?

そうです。あの建物自体はNISHIKURAという名前で、その中に3つのエリアがあるんですよ。販売所が「SUMIYA」という名前で、カフェが「にしくらカフェ」で、2階が「お食事処西蔵」となります。

丸尾

もともとあちらの建物自体は、どういうことに使われていたのですか?

昔、お酒を貯蔵する蔵だったんです。それを当時から「西蔵(にしくら)」と呼んでいて、そのままお店の名前にしています。ちなみに、実際今も酒造りをしている、こちら(にしくらカフェとは向かい側)の奥にあるんですけど、こちらは「東蔵(ひがしくら)」と呼んでいました。

西蔵の1Fにあるショップ。御前酒をはじめとした商品が並ぶ。

丸尾

なるほど!そういうことなんですね。NISHIKURAは、カフェなど人が出入りしやすいカタチにされているんですね。

実はあの建物も150年ぐらいの建物で、登録有形文化財にも指定されています。まず平成元年、私の父の代にレストランとしてリノベーションをして、実はつい先日、2月7日(取材日の約半月前)にリニューアルしました。今までは食事処というか、レストランだけの機能だったのですが、そこに蔵元のショップとカフェを新しくオープンしたという形ですね。

NISHIKURAの2Fレストランの天井の梁。すごい迫力。

5姉が杜氏に弟子入りし、先に酒造りの道へ。

丸尾

辻さんはもともと、もちろん生まれはここということですよね。外に出られていたとのことですが、どちらですか?

東京にでて音楽をやっておりまして(笑)。ギターをやっていました。
東京に合計で5年ぐらいいたんですけど、途中海外にも行ったりしながら。23歳のときにこちらに帰ってきて、入社しました。それからの間も、1年ぐらい東京で動いて、集中的に営業活動をしたこともありましたね。

丸尾

その杜氏(とうじ)のお姉さんも出られていて、戻ってこられたんですね?

そうです。姉は2つ上なんですけど、東京の大学に行っていて、蔵の長女ではあるんですけど、当然会社を継ぐのは、私という流れで来ていたので、普通に東京の会社に就職をしました。

でも大学時代に友達に、酒蔵の娘ということで、「お酒ってどうやってつくるの?」と聞かれたときに、全然自分が答えられなかったみたいで、これはいかんなということで、大学の冬休みを利用して、1週間、2週間程度、蔵のお酒の仕込みを手伝ったり、見学したり、体験したんです。

そのときの経験が自分の中に残っていたみたいで、就職して仕事をしていても、いまいち実感が得られなかったようで、そのときふと、「私は酒造りがしたい」と思ったらしくて、当然、先代の杜氏(とうじ)さんがいらっしゃったので、その方に弟子入りをしました。

6東京から客観的に見ていた勝山の町。

丸尾

辻さん自身は、もともとこっちに戻ってきて、こういうことをしたいというものはありましたか?

いや、実は全くなかったですね。ごらんのとおり田舎町でしたし、私たちが小さい頃とか学生時代は、今みたいに街並みもこんなに盛り上がっていませんでした。「もう二度と帰ってくるものか。」と思って東京に(笑)。

秋祭りがあるんですけど、激しいお祭りで喧嘩だんじりもあり、それは僕も小さい頃から毎年出ていて、東京にいた頃も、必ずそのときは帰ってきて祭りには参加していました。
その秋祭りの3日間はすごく盛り上がるんですけど、ほかの日はあまり何もない、静かな町だったんです。

でも、東京に行っていたぐらいの時から、この勝山の町自体も、盛り上がってきていました。街並みが整備され始めて、のれんがかかる街並みになってきたり、ちょうど空き家とかに移住者が来て、何かもりづくりを始めたりするようになりました。この勝山自体がすごくその頃盛り上がりつつあったのを客観的に見ていました。

ちょうどその頃、先代の父がたまたま東京に出張に来た時に会うことになり、その頃から酒造りの話や、蔵元の話を父ともするようになりました。ただ酒を造るのがうちの役目ではなくて、地域のいろいろな文化、食文化と密接にかかわりながら情報発信して、この勝山の町をたくさん人に知ってもらって、たくさんお客さんに来てもらいたい、というような話をして、そのときに何か初めて理解をしたような感覚になりました。

それは何だか自分もやってみたいと思いましたし、ちょうどそのレストランの方でも、うちの先代はジャズがすごく好きだったので、ジャズのミュージシャンを呼んでコンサートとかもしていました。そして、1年早く姉が帰って酒造りを始めていたというのも、すごく刺激にもなりました。そういう背景もあって、僕でもできるかなと思って帰ってきたんです。

丸尾

なるほど。勝山自体を盛り上げていきたいというお話もあったりとか、先代の思いとかを聞くと、やっぱり使命感みたいなものをもらったりとかということもあるんですか?

そうですね。帰ってきた当初というのは、まだ使命感なんて何もなかったですね。僕自身も業界のことは、まだ何も勉強していなかったですし、本当にイチからという感じでした。只々やってきた中で、徐々にそういうふうになってきたという感じでしょうか。自分なりにも商品企画に携わったり、イベントをやったりとかという中で、だんだんとそういう考えが芽生えてきたのかもしれないですね。

7地域文化の発信ができるような場所に。

丸尾

これから辻本店を通して、あらたな商品づくりを通して、勝山をはじめ地域に対して、広げていきたいことや、変えていきたいことがあったら教えてください。

勝山自体、先ほど申し上げましたけど、まちづくりが1993年ぐらいから始まって、ちょうど私たちの親世代が30年間ずっと頑張ってきて、今の形になっています。次、我々世代がそれをつないでいって、私たちの世代なりの地域をつくっていくということを、今まさにやっているときだと思っています。

うちのレストランも、大体30年ぶりにリニューアルしたんですけど、今回のリニューアルしたポイントというのは、やっぱり次の世代に受け入れてもらえる場所にもなってほしいと考えています。

そしてここは山陰・山陽の中間地点というのもあるので、いろんな方にここに来てもらって、ワークショップやってもらったり、真庭の作家さんに展示してもらったり、イベントやってもらったりしながら、地域文化の情報発信になるような場所になってほしいという思いがあります。本当に同世代との連携というのを、今後強めていきたいなと思います。

毎年3月に開催される勝山のお雛まつり。5日間、町中にお雛様が飾られる。

8毎年答えがないのが酒造り。

丸尾

イギリスのロンドンに行かれたりしていましたが、海外での反応というのはどんな感じなんですか?

そうですね。今、日本食レストランも海外でも増えていますし、日本食レストランだけではなくて、現地のレストランとかでも、ワインリストなんかに日本酒が入っていったりとか、変な話、国内よりも盛り上がっている部分も感じますよね。

丸尾

どんどん海外でも、もしくは日本で今まで日本酒をあまり口にしてない僕らの世代も、日本酒を口に運んでくれるような機会が増えたらいいですよね。ではこれからチャレンジしていきたいことなどあれば教えてください。

酒づくり自体も本当にゴールがなくて、毎年毎年、私たちができることはすごく限られています。当然農家さんがつくられたお米もいただいて、なおかつ地域の水を使って、あとやっぱり微生物なんですよね。酵母菌だったり、乳酸菌だったり。我々の目では見えないんですけど、その菌のご機嫌を伺って、あとはその菌が働きやすくなる環境を我々がつくってあげることが必要なので、本当に教科書がないというか、毎年毎年答えがないんです。

そういった意味で、毎年チャレンジではありますし、その中で「9(NINE)」というシリーズも誕生しました。老舗ではありますが、時代に合わせたプロモーションの仕方だったり、パッケージもそうだと思うんですけど、本当に毎年新しいものは何か出していきたいなという思いもあります。

あとはNISHIKURAの方のような、日本の文化をどんどんリンクしながら発信していくことは、毎日チャレンジというか、チャレンジしないと私たちのような老舗は続いていかないと思うので、時代時代のチャレンジというのは常日頃頭にはあります。

9未知への好奇心が、自分自身のバイタリティ。

丸尾

蔵で働かれている人というのは、若い方なんですか?

そうですね、同世代ですね。当時は20代後半ぐらいでしたけど、今は30代後半、40代前半ぐらいまでみんな上がってきています。

丸尾

蔵人になる人は「酒造りがしたい」といって来られるのですか?

そうですね。去年4人ぐらい若手が入ったんですけど、20代前半もいますし、だから今の若い子というのは、やっぱり手に職じゃないですけとじ、自分でモノをつくりたいという人が増えてきているのかなと思いますね。

丸尾

なるほど。何かそういう人たちが働ける場所としても、手に職をつけながら、この勝山という場所で働けるというのは、すごく素晴らしい会社ですね。

ありがとうございます。

丸尾

では、これ最後の質問なんですけど、辻さんが日ごろから大切にしているような言葉があれば、教えてください。

座右の銘は「謎以外に何を愛そうか」という言葉があるんです。

丸尾

すごくよい言葉ですね。

だから酒造りにも通じるとは思うんですけど、僕自身が既存のものとか既定のものに対してすぐ疑いの目を持って、本当にこれで正解なのか?といつも考えてしまうんです。自分自身の好奇心というか自分自身のバイタリティーのもとにあるのが、そういう曖昧なものとか、未知なものなのかなと思っているんです。

丸尾

伝統を尊敬しながらも、何かが生まれてくるきっかけは、疑問を持っていくということなんでしょうか。

そうですね。伝統文化というものは、言いかえればそれに甘えてしまうと、そこでとまってしまうのだと考えています。文化というのは本当に、今まで当然培ってこられたものはリスペクトしながら、そこに新しいエッセンスをどんどん蓄積させていって、初めて新たな文化になると思っています。

伝統文化に甘えず、リスペクトし新たな文化に。

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文化元年(1804年)創業。当時は美作勝山藩御用達の献上酒として「御膳酒」の銘(現在の銘柄の由来)を受け、一般には「萬悦」の銘柄で親しまれていました。「御前酒」と「炭屋彌兵衛」の蔵元。幻の酒米である雄町米を使用し、独自の菩提もとで造るこだわりの味をお届けいたします。

お話を聞かせていただきありがとうございました。伝統を大切にしながらも、甘えず、新たな文化をつくっていくという姿勢にとても感銘を受け、刺激を受けました。リニューアルされたばかりのNISHIKURAのショップにもたくさんのお客さまが来店されており、地域の作家の作品も並べられていました。まさに酒造りだけではなく、地域文化を発信していく場所として、時代を超えて新たな価値を創り続けていました。辻さんは、東京からUターンのかえーる人でした。

  • 取材日:2017年2月24日
  • 撮影地:御前酒蔵元辻本店
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