[Uターン・Iターン・移住]いーなかえーるは、岡山県北の求人情報をご紹介します
周りの応援があって結果が出せる。だから謙虚と感謝を忘れない
ハヤセ株式会社
常務取締役 早瀬崇之
岡山県にある、ハヤセ株式会社 常務取締役 早瀬崇之 - 岡山県北の求人情報サイト「いーなかえーる」さんに、お話を聞いてきました。
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127歳で、岡山県北部(けんほく)に帰ってきました。
丸尾 |
まず、初めに。早瀬さんは現在、会社ではどういった部分の業務やマネジメントをされているのですか? |
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早瀬 |
今は、全般を統括しています。営業全般、それから総務全般を統括している、生産もトップでマネジメントしています。 |
丸尾 |
早瀬さんが岡山県北に戻ってこられたのはいつごろですか? |
早瀬 |
早いもので(笑)もう15年くらいたちますね。27歳の時、横浜から岡山県北に帰ってきました。 |
2大学進学で横浜へ。しかし横浜っぽいことはしてません(笑)
丸尾 |
横浜に住んでいたのですね。学生時代も横浜ですか? |
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早瀬 |
そうです。学生時代から横浜で・・・・といっても横浜っぽいことはしてませんよ(笑)一般的に横浜と言えば、観光スポットですし、そういったおしゃれなところですが、私はそんな感じではなかったですね(笑) |
丸尾 |
と言うと? |
早瀬 |
学生時代は、サークルの先輩や後輩と麻雀ばっかりでした(笑)一番ひどい時は徹夜で麻雀したあと、朝からパチンコ屋に行き、パチンコを打ちながら競馬新聞を読む・・・(笑)ひどいものでしたね(爆笑) |
丸尾 |
なるほど(笑)ある意味たくましいですね(笑)どんなアルバイトをされていたのですか? |
早瀬 |
警備員からデパートでの販売など、本当にいろいろな職種、たくさんのアルバイトを経験しました。 |
3大学卒業後は、不動産業界へ
丸尾 |
それでは、卒業後はどのような業界に進まれたのですか? |
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早瀬 |
当時興味のあった不動産業に進みました。当時都内に数十店舗を構える、マンションなどの賃貸借関係の会社です。そこで営業をしていました。 |
丸尾 |
不動産に興味をもったきっかけはなにかあるのですか? |
早瀬 |
ハヤセ株式会社の関連企業で、不動産関連の業務を行う会社がありその影響で不動産に興味を持ちました。 |
丸尾 |
なるほど。でも東京都内の不動産会社はすごくハードワークなイメージがありますが。 |
早瀬 |
もちろん業務はハードでしたね。顧客の獲得方法は、広告やマーケティングによるプル型の営業でした。来店されたお客様に対する営業ですね。 |
4ちょうど仕事が面白かった時期、でも帰ってきてよかった
丸尾 |
その後、岡山県北に帰ってくることになったきっかけは何だったんですか? |
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早瀬 |
ちょうど仕事も面白い時期でした。母親の体調不良により岡山県北に帰ってくることを決めました。でも帰ってきてよかったと思います。 |
丸尾 |
やっぱり首都圏と岡山県北地域ではギャップがありましたか? |
早瀬 |
今はありますが、当時はコンビニエンスストアが少なかった(笑)最寄りのコンビニまで、10Kmくらいありましたから(笑) |
丸尾 |
休日なんかはどのように過ごしていらっしゃいますか? |
早瀬 |
休日は息子の野球に付き合ってます。地元の野球団の団長を務めたりもして、野球を教えたりもしています。 |
5仕事は、都会も地方も変わらない
丸尾 |
早瀬さんは、首都圏で仕事をし、その後、地元に帰って仕事をされていますが、なにか感じられることはありますか? |
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早瀬 |
仕事自体は、都会も地方もでも変わらないと思います。結局は自分が何をやりたいかです。また業種や会社にもよりますが、都会と田舎では、業務にあたる時間は違うのではないかと思います。現に弊社は、基本定時上がりですしね。 |
丸尾 |
それはあるかもしれません。それでは最後に早瀬さんが大切にされていることは何かありますか? |
早瀬 |
後輩にも言っていることですが、自分の事でもあります。それは、 |
周りの応援があって結果が出せる。だから謙虚と感謝を忘れない
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大変お忙しいところ、取材にご協力いただきありがとうございました。
早瀬さんは、横浜から美作に帰ってきたかーえる人でした。
- 取材日:2014年3月4日
- 撮影地:ハヤセ株式会社