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万華鏡のような津山の街並み。とあるライターの滞在記
万華鏡のような津山の街並み。とあるライターの滞在記
取材・文:田村真奈美(たむたむ)
Living Anywhere Commonsメンバーで、ライターの田村真奈美さん。
LivingAnywhreCommons津山のINN-SECTを拠点にワーケーションしながら、津山滞在記を執筆いただきました。
田村真奈美さんのプロフィールはコチラから
目次
はじめに
「万華鏡…」
と私がぼそっとつぶやいたのは、津山の街を巡る途中でした。
角を曲がる、振り返る。
すると、さっきとはまるで違う風景が広がる。
少しずつ傾けた万華鏡が、ひとつとして同じ模様を見せないように。
(市内中心を流れる吉井川からの眺め)
私が津山を訪れたのはワーケーションの一環でした。
勝手に「山あいの素朴な街」を期待し、国道をJR津山線とともに北上。
時は6月。
濃いみどりと青い空。
その風景の中を、時おり2両編成でオレンジ色の可愛いディーゼル列車が走り抜けます。
これは……やっぱり(いい意味での)田舎の予感。
(津山駅前から津山城址へと向かう鶴山通り)
6泊7日の私のワーケーションはそんな期待と共に始まり、そしてなぜ「万華鏡」へと変化したのか。
津山の建築との出会い
1週間の拠点INN-SECT(インセクト)は津山市の中心。
宿泊施設からコワーキングスペース、カフェが揃っています
私の目的は「気分転換がてらのワーケーション」。
仕事しながらのんびり引きこもる気まんまんでした。
ただ、奇しくも時期はコロナ禍。
引きこもる予定だったINN-SECTのカフェは残念ながら閉鎖中です。
「これは動かねば」
やむなく外へ出た私は一つの建物に出会います。
INN-SECTから徒歩数分の二階町にある、赤茶レンガの建物。
古くからの住宅や商店がならぶ中、ある意味異様にも思えたこの3階建ては、外壁に「Lamp」の情報を残すのみ。
昭和40年代にはお好み焼き屋だったというこの建物。
今では空き家で取り壊しの話も出ているとか。
50年以上の歴史を持つこの建物。
できればこの先も、街と共にあってほしいものです。
「川沿いに出ると気持ちいいかもしれない。」
そう思った私が吉井川へと向かう途中のこと。
今度は純和風、迫力の3階建てと出会います。
看板には薄れた字で「西村旅館」と。
元は江戸時代末期に建てられたというから、築200年近いことが伺えます。
旅館をたたんでから四半世紀が過ぎるようですが、威風堂々とした構えは人の目を惹きつけてやみません。
「津山の建物って面白いのでは?」と思い始めたのもこの頃。
津山城周辺で歴史を学ぶ
INN-SECTに戻り運営の武川さんとお話した際、周辺の商店街や他のレトロ建築のことを聞き「やっぱり津山のテーマは建築だ」と私の好奇心に火が付きました。
津山を代表する建築と言えば、もちろん「津山城」。
天守閣は明治に取り壊されたものの、見事な石垣と復元された備中櫓は街のシンボルとなっています。(この時は入れず…)
石垣の横には「津山文化センター」
下から上に広がるモダニズムなデザインと、社寺建築に見られるという斗栱(ときょう)構造が特徴。
まさに津山城の石垣と対を成す建築物です。
そこから南へ周ると「津山郷土博物館」「森本慶三記念館」が姿を表します。
昭和初期に津山市庁舎として建てられ、昭和の終わりと共に生まれ変わった「津山郷土博物館」。
シンメトリー構造と重厚な存在感が目を引きます。
こちらは大正15年に津山基督教図書館として開館。
現在では建てた方の名前を冠し「森本慶三記念館」と呼ばれています。
戦後は学校として使われていた時代があり、隣に増築した校舎は「つやま自然のふしぎ館」として営業中。
シベリアトラ、ホッキョクグマなど希少動物の剥製が数多く展示されています。
宿の周辺だけでも、これだけの歴史あるユニークな建物たち。
引きこもる予定だった私は、暇さえあればカメラを片手に外へ飛び出すようになりました。
ビビっときた万華鏡
津山城を西から南へ。
回り込むように進むと、吉井川へ流れ込む宮川に出ます。
この先には、津山城と並んで有名な「城東町並み保存地区」が続きます。
でも私が興味を持ったのは、宮川から北への眺めでした。
先ほどまでのにぎやかな城下町の雰囲気が一変し、穏やかな川沿いの風景が広がっていたのです。
しかも視線の先には、何やら赤い大きな物体が……。
私の興味を引くには十分。
その正体は、とてつもなく大きな提灯と鳥居でした。
千代(せんだい)稲荷神社は創建934年とされている、市指定の重要文化財。
私はひと目でこの風景のとりこになってしまいました。
川を吹き抜ける風、のどかな風景の中にたたずむ(には大きめの)真っ赤な提灯と鳥居。
しかも目の前にはこれまた真っ赤な太鼓橋。
徒歩でしか通れない凹凸のある橋は、地元の方の大切な通行手段となっているようです。
車で移動してしまうときっと見つけられなかったこの場所。
出会えた喜びを噛みしめ、川の水面を眺めていると浮かんできたのが「万華鏡」でした。
キラキラ光を反射する川のイメージ?
いえ、まさに津山を丸ごと表すにふさわしい例えだと気づきました。
観光地の一面を見せたかと思うと、道を一本渡れば田植えの風景。
橋を渡れば旧出雲街道の街並み。
足を止めて橋から眺めるとかわいいお稲荷さんと出会える。
津山の街を巡りながら、万華鏡はサラサラと回り続け、新しい一面を見つける度に色づいていく。
そんな想いがしたのです。
城西〜北エリア、生活に寄り添う建物たち
さて、津山城を周回するだけですっかりこの街のとりこになった私。
勇んで北へ向かいます。
北は市役所や総合体育館、高校が集まるエリア。
これまた整備された並木道とファミリーが集まる公園、イベント目白押しの体育館。
はて、先程ののどかな風景はどこへ?
お稲荷さんの狐に化かされたような思いで先を進みます。
北エリアには、津山藩のご対面所(いわゆる応接所)として設けられた「衆楽園」や、NHK朝ドラ「あぐり」のロケ地ともなった「津山高等学校本館」があります。
(衆楽園は残念ながら閉園中)
津山高等学校本館は、明治33年に建設されたルネサンス様式の建築。
築100年をこえる国指定重要文化財が、現役で学校施設として使われていることに驚くばかりです。
そのまま城西エリアに入ると「観光地」感はめっきりなくなります。
ここに点在する歴史ある建物は、地域の生活に寄り添うように存在しています。
美術館のような美しさで迎えてくれるのは、築100年を越える「城西浪漫館」。
今なお現役の「中島病院」の旧本館で、1階にはカフェ「榕菴(ようあん)珈琲」や売店が入り病院の利用者や近所の方で賑わうそうです。(この時カフェは閉鎖中)
「珈琲」という漢字を考案した、津山の洋学者・宇田川榕菴にちなんだカフェ。
珈琲好きならぜひ訪れてほしい場所です。
そこから南に進むと、またしても重厚な建物…には学校帰りの小学生がたくさん。
大正9年に旧土居銀行として建てられた、現「作州民芸館」です。
左右対称の厳格な佇まいとは逆に、くすんだブルーの扉や窓枠が可愛い。
中には民芸品、地元食材販売やカフェ。
小学生からお年寄りまで、地元の方の憩いの場となっている様子が伺えます。
そのすぐ近く、藺田川(いだがわ)にかかる「翁橋(おきなばし)」は親柱にさり気なくアールデコのデザインが施され、只者ではない感じ。
それもそのはず、岡山県で登録文化財に指定されている唯一の橋です。
住宅街のあちこちでカメラを構える私に「ええの撮ってーよ」「どっから来たんな」と気さくに声をかけてくださる方々。
建物の歴史や地域との関わり。自分との思い出。
相づちを打ちながら聞いていると、点と点だった知識がピンとつながることがあるのです。
そこでまた「サラリ」と動く万華鏡。
色が一つ加わり、また新しい津山の魅力を気づかせてくれます。
番外編:あじさい寺(長法寺)で涼をとる
季節は6月。
津山の地図をながめていると「あじさい寺」という文字を発見。
紫陽花好きの私は、次の日にはあじさい寺こと「長法寺」へ向かったのです。
長法寺は吉井川を渡った所にある天台宗のお寺。
津山城から贈られた腰高障子に紫陽花が描かれていたのを記念し、境内に紫陽花を植えたのが始まりだそうです。
今では30種もの紫陽花が約3,000株群生しています。
5分あれば1周できてしまう境内は、まさに紫陽花だらけ。
周りを高い木々に囲まれ湿度を帯びた緑の中、ひっそり咲く紫陽花が引き立ちます。
見頃は少し先のようですが、これから色付こうとしている淡い色にも心惹かれます。
梅雨の蒸し暑さも、境内ではいくぶんか和らいだように感じ、ほっと一息。
たっぷり1時間以上見て回った私は、ほくほくと帰路につくのでした。
津山の城下町はカラフルな街である
(津山駅前からの眺め)
津山滞在中、万華鏡は刻々と動き続け、たくさんの色を吸収しカラフルに色づきました。
でも、食、産業、自然や、季節毎の見どころなど。
まだまだ新しい色が潜んでいる。
そう期待せざるを得ない、心地良い消化不良。
(吉井川沿いからの眺め)
大切に万華鏡をしまい込み、
「また来るね」
そうつぶやいて私は車に乗り込みました。
南下する道すがら、濃い緑の、夏の始まりの匂いがする。
とあるライターの、とあるワーケーションの記録。