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長年培った製材技術とノウハウで、高品質な国産無垢材を

山下木材株式会社 代表取締役

山下 昭郎

真庭市

山下木材株式会社の代表取締役社長 山下昭郎さんにお話を聞きました。

 

#製材

#プレカット

#木材乾燥技術

#国産材へのこだわり

#日本農林規格(JAS)認証

#高品質な国産無垢材

 

 

index

1「製材」と「プレカット加工」の2本柱

丸尾

あらためて山下木材について教えてください。

山下

山下木材はいわゆる製材所で、仕入れた「丸太」を「角材」に加工して販売しています。「製材」では、丸太の中央部を四角く切り取った「心材」から、住宅の骨組みになる構造材を作ります。そして、1本の丸太からできるだけたくさんの材料が取れるように、心材の周りから板状の木材を切り出していくんです。

丸尾

製材作業後の行程についてはどうなりますか?

山下

製材作業の後は、木材を乾燥機に入れて乾燥させます。最後に乾燥させた材料にカンナをかけて仕上げ、岡山県内はもちろん広島県、関東・関西地方などに販売しています。

山下

もう一つの事業の柱が「プレカット加工」です。かつては大工さんが木材に「刻み」という加工を手作業で施していました。弊社ではそれを専用の自動機械で加工しています。

丸尾

材料の丸太はどこから仕入れているのでしょうか?

山下

7割方は岡山県産で、残りの2割ほどは広島県産です。

国内でも数少ないJAS認証を取得

丸尾

100年近い社歴がありますが、山下木材ならではの強みはどのような点でしょうか?

山下

丸太を仕入れるときに、「直」と呼ばれるまっすぐで欠点のない丸太のみを購入しているのが最大の強みですね。市場で売られている丸太の中には、曲がっているものや傷があるもの、木口が腐っているようなものもありますが、弊社では一番良質な材料だけを扱うようにしています。

丸尾

乾燥工程にも高い技術が要りますよね。

山下

2023年現在で13台の乾燥機があり、含水率20%以下を出荷目安としています。木材には地域性もあり、乾燥の調整がなかなか難しいんです。以前専務だった私の父は岡山県の森林研究所にも協力を仰ぎ、乾燥技術の向上に力を入れていました。それは現在にも受け継がれています。

 

弊社ではヒノキとスギの2種類を取り扱っています。ヒノキはスギに比べて乾燥させやすいんですが、スギは乾燥がとても難しく、さらなる技術の確立に努めています。

丸尾

国産材の価格が、昔に比べると低下してきていることについては、どう思われますか?

山下

おっしゃる通り国産材の価格は昔に比べてどんどん下がってきています。それを少しでも高く買い上げて加工・販売していかないと、山に還元することもできません。高く買うためにはある程度の価格で売れる材料にする必要があります。

 

スギ材の場合は木が大きくなってしまうとあまり使い道がなく、大半は価格の安い合板などに流れてしまいます。弊社ではこうしたスギ材を構造材として仕入れて加工し、建築士や工務店など、ユーザーの信頼を得るために日本農林規格(JAS)の基準を満たす製品として出荷出来る工場にしています。

 

JASは日本で唯一、木材の強度までを担保した規格です。その認証を得るために、木材の強度を判定できる機械も導入しました。断面が正方形の木材を正角、長方形の木材を平角と呼びますが、その両方かつ、スギ・ヒノキの両材でJASの認定を受けているのは県内だと山下木材だけです。国内で見ても非常に数は少ないですね。

創業から、市場ニーズに対応してきた歴史

丸尾

創業から今までの経緯をお聞かせいただけますか?

山下

私の祖父は兵庫県の山崎町で製材業を営んでいました。当時、国内情勢が戦争に向かっていく中で、国が製材工場を買い上げる政策が進んでいたため、祖父はその影響が及ばない場所を探し求め、この地域に移転し製材所を始めました。

 

その後、戦争の流れが田舎の方にも押し寄せてきて、結局製材所は国に買収されてしまいました。戦後にそれを買い戻し、再スタートを切ったのが山下木材の始まりです。

丸尾

そこから住宅や建築を取り巻く情勢変化に対応してやってこられたということですね。

山下

はい。住宅ブームとなり、注文住宅に合わせた材料作りの必要性が増す中、弊社でも先ほど説明したような構造材の生産を始めました。その後も、乾燥設備の導入やJASの取得、プレカット工場の新設を経て、今に至ります。

丸尾

続いて、山下社長ご本人についてお聞きしたいと思います。

山下

私は真庭生まれ真庭育ちです。まだインターネットもない頃でしたが、叔父の影響を受け、これからはコンピュータの時代だということで、高校卒業後は大阪にあるコンピュータ関係の専門学校に進学しました。

 

将来はゲームプログラマーになりたいと思っていましたが、当時会社ではプレカット工場を新設する計画が持ち上がっていて、コンピュータで構造図面を作成できる人材が必要だったため、私に話が来て、こちらに戻ってきました。

 

その後はプレカット工場の立ち上げから携わり、従業員が増えてきたタイミングで営業に異動。それが慣れてきた頃に、製材部門に移ってまた一から経験を積みました。

プレカット工場を一から立ち上げてきた経験

丸尾

プレカット工場を一から立ち上げた過程にもさまざまな苦労がありそうですね。

山下

ありがたいことに従業員みんながやる気を持って臨んだおかげで、人的な部分での苦労はあまりなかったですね。

 

ただ、そもそもの知識不足による苦労は多かったです。例えば私が最初に関わった物件の話ですが、図面を見ると一般的な四角い建物ではなく、船の形をしていました。しかも、昔の図面なので手描きなんですが、建物の軸となる「通し柱」の位置が1階と2階で違っていて…。でも当時の私たちには正誤の判断が問える知識も経験もないものだから、他の工務店さんに頭を下げて相談しに行きました。今考えると絶対にあり得ないですが(笑)。

 

また、昔は今ほどコンピュータも優秀ではありませんでしたからね。夜までかかって作った設計図のデータがあと少しで完成というところでコンピューターがクラッシュし、泣く泣くやり直した経験も幾度となくあります。

「感謝」と「挑戦」

丸尾

これからの山下木材のビジョンを教えていただけますか?

山下

先代の社長だった現会長は従業員をとても大事にしていたので、私もその思いを引き継いでいきたいと思っています。従業員が働きやすい環境を整えることは最低限かつ大前提です。

 

対外的なビジョンとしては、少子化が進むと住宅の需要も減少するので、それ以外の活路を見出していく必要もあると考えています。具体的な答えはまだ出ていませんが、これまで培ってきたノウハウを生かせる方向性で模索中です。海外販売も可能性の一つとしてありますね。

丸尾

最後に、大切にされている言葉などがあれば教えていただけますか?

山下

まず「感謝」です。人と人とのつながりがいろいろなことにつながりますからね。感謝は忘れがちになってしまうからこそ、特に大切だと最近は感じます。

 

そして、「挑戦」です。さまざまなことにチャレンジしていかないと、発展はありません。だから、挑戦は自分の生涯のテーマだと思っています。

長年培った製材技術とノウハウで、高品質な国産無垢材を

山下木材株式会社

1927年に兵庫県で創業し、1941年に岡山県真庭市に移転して工場の操業を開始。長年培ってきた製材の技術とノウハウを生かし、高品質な国産無垢材を加工・販売している。1971年にはJAS認定工場となった他、1996年にはプレカット工場を新設した。

お話を聞かせていただきありがとうございました!!100年近い歴史を持つ山下木材ですが、その歴史はチャレンジの歴史であったのだとお話を聞いて強く感じました。高い乾燥技術や加工技術をもたれており、品質へのこだわりについても大変感銘を受けました。

製材工場から、乾燥工程、プレカット工場まで見せていただき、歴史の中で築き上げてきた技術と信頼の大きさを感じました。広い工場内は木の匂いがただよう、ものづくりのプロフェッショナルな空間でした。山下さんは大阪からUターンの、木材業界を変えていくかえーる人でした。

 

  • 取材日:2023年10月12日
  • 撮影地:山下木材株式会社(岡山県真庭市)
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